Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2014年11月12日水曜日

「情熱」の見つけ方【翻訳】

私たちのあまりに多くが「情熱」と呼ばれる魔法めいたものを信じている。「情熱さえ見つけることができたなら」となげく。「情熱を見つければ幸せになれるのに」


まあ、じっさい情熱はリアルで、パワフルなもの。だけれども、それを見つけることについてのほとんど全ては間違っている。

ルール1: 情熱は成功からやってくる

僕らの感情の全ては正当な理由で存在する。飢餓にならないために空腹を感じたり、破裂しないように満腹を感じる。そして僕らは自分にとって最も褒章的なことに努力を集中させるために情熱を感じる

ダンスレッスンを始めたと想像してほしい。すぐに簡単だと思う。自分が他の人よりも上達が早くて、上手くなってると気づく。高まる興奮が君の情熱だ。その情熱は君のスキルを向上させるため、強みを伸ばすため、何度でも繰り返させるようになる。


情熱の敵はフラストレーションだ。もし何かが継続的にうまくいかないとき、決してそれに情熱的にはなれないだろう。完全にそれを避けようとするようになる、つまりは上達しないんだ。


多くの人がこれを逆に捉えてしまう。彼らはまず情熱を発見して、それが上達に導いてくれると考えているんだ。実際のところ上達がはじめにあって、その後に発見なんだ。情熱は成功からやってくるってわけだ

ルール2: 情熱は子供時代に死ぬ

理論的には、子供時代はまんべんなく多くのことにトライし、才能を見つけ、それとともに情熱を発見する恵まれた機会だとされる。

だけれど、考えてもみてほしい。どれほどシステムが悪弊を君にもたらしているかを。たとえば、学校が20個の科目を君に課すとして、他の数千の子供の中でランキング付けされる。なかなかに分が悪いだろう。本質的にいって、ほとんどの子供は平均値に位置づける。どれだけ教育をよりよきものにしたところで関係ない。なぜなら人は情熱を感じるためには“例外性”を感じなければならないから。つまり、教育をよりよきものにするということは単に平均値を上げることにしかならない。


君がラッキーだとしよう。君は中学校の数学の授業でトップにいる。けれども教育システムは君にとって、難しさを上げ続けるだろう。たとえば大学に入って、君が例外ではないレベルに達するまで。仮に君が客観的にみてもすばらしく優れていても、ひとたび平均に過ぎないことを感じると、情熱は薄れていくだろう。

しかもそれは君がラッキーな場合だ。もし君の情熱がアートだったら?早い年齢から社会通念によってその情熱は抑え付けられる。「画を描いて飯を食うのは厳しいぞ」と両親は言う。「いとこはエンジニアで活躍してるそうよ。なぜ彼のようにはなれないの?」こうやって君は情熱を手放して、枯れさせる。

何十億人の人がいるこの世界で、みんながみんなアカデミックな分野で傑出するのが難しいことは明らかだろう。もし君の才能がスピーチライティングやクリエティブなダンス、はたまたゲームのコマーシャルをYoutubeで制作することだったりしたら?これらのどれも学校のシラバスには載っていない。

だからほとんどの人は何に対しても情熱を持たないまま大人になっていく。

ルール3: 情熱は創り出せる

一般的に多くの成功者が情熱を棚から取り出していないということを知ることは為になるかもしれない。


実際のところ、世界的に成功している多くの人びとが教育を途中で完全にドロップアウトしている。彼らがバカだったからとかではなく、教育では気づくことのできなかった、自分自身がより輝けるエリアを見つけたのだ

彼らは自分自身の情熱を創り出したんだ。

ごく限られた人だけが、幼少時代に用意される狭い科目の中で秀でることができる。そして、このスペースで行われる競争は基本的に「学校に行った全ての人」で争われるから、僕らのチャンスはごくわずかだ。

でも君がそのスペースの外側に目を向けるなら、競争はそれほど激しくなく、他のオプションがあることに気づく。そしてこれが、自らの嗜好の中に情熱を見つける方法になるんだ。

オプション1: なにかを創る

なにか新しいものを創るとき、君は情熱を捧げられる何かを発明している。

新奇なクッションのデザイン、『バットマン』のストーリーを書くこと、はたまた政治家が真実を言っているかを精査するためだけのアカウントを作ることかもしれない。


新しいことは比較的に競争相手が少ない。新しいなにかを創造することによって、君が“例外”になれる確率はずっと、ずっと高くなる。

さて、これは【ルール1: 情熱は成功からやってくる】を無視することにはならないということに気をつけよう。だから、もし君がはじめた新しく始めたツイッターアカウントが一年経っても5人しかフォロワーがいないようなら、おそらく君はそれほど情熱を傾けることができないだろう。もし500万人のフォロワーがいるなら、仕事を辞めるだろう。情熱に燃料を注ぐような成功を見つけるのだ。


だけれど、少なくとも君は急激に確率を改善したことになる。なぜなら、君の競争はとても限られているから。ほんの一握りの人だけがおそれを知らずに新しいなにかにトライするんだ。そして君は彼らの一人になれる、ただ始めるだけで。

このパターンは歴史の偉人に共通して見られる。マークという少年が世界の偉大なプログラマーになることは決してなかっただろう。けれど彼はクールなウェブサイトを作りはじめた。そして、彼は自分がこれに異常に向いていることに気がついた。なぜなら有能なプログラマーでさえ、めったにトライしようとしなかったからだ。だから、彼の小さな実験が偶然にFacebookになったんだ。

オプション2: 流行の先頭に立つ

分野が古く、より確立されているものほど、競争することが厳しくなる。君が参入する頃には何百万人がいるし、君が勝ち抜ける確率が低ければ、君が情熱的になれる確率も低いものになる。

だけれど、フロンティアというものはいつでも生まれるものだ。それはみんな絶望的なほど下手で、まずまずのスキルでも優れることのできる場所のことだ。


仮に君が2005年にさかのぼって、YouTubeでビデオを作り始めた高校生だとしよう。まずまずの視聴者を得て積み重ねる成功が君を興奮させる。YouTubeが毎日40億再生されるバケモノだと“成長した”世界が気づく頃に、君は計り知れないほど貴重で、新しい技術の情熱的なマスターになっている。

ファンタジーなんかじゃない。めちゃめちゃ成功しているユーチューバーの一団がいる。彼らのほとんどは同じ方法で今のポジションを獲得した。つまり、誰よりも先に始めたってこと。初期のブロガー、ラッパー、そしてビデオゲーム・デザイナーも同様だ。

もしも君が急速に成長している何かを見つけて、早い段階でそれに習熟できれば、驚くほど簡単に秀でることができることに気づくだろう。なぜなら競争がないからだ。そして、そこに君の情熱が宿る。

オプション3: 凡庸を組み合わせる

教育の限界の一つは、君のスキルを狭めるように設計されていることだ。教育は通常、君の“もっとも優れた”一つを見つけ、君が耐えられる限界までそれを伸ばそうとする。



本質的な問題は僕らの大半が、ある一つの分野で一番になれないことだ。だけれど僕らも自分のコンビネーションの中では“例外”になれる。

たとえば君が、まずまずのユーモアを持ち合わせた平均的なアーティストだとしよう。音楽の学位では大した期待も抱けないし、“ユーモア”は科目として学ぶこともできない。だけれど、優れたマンガ家にはなれるかもしれない。

いくばくかのプログラミングスキル、なかなかの営業スキルのある経営専攻の学生の場合はどうだろう。この手の人間は他人の上につくのに向いている、他の分野では負けていたはずの他人だ。

もっとも成功している人々はほとんどの場合、ひとつのスキルで定義されない。彼らはスキルの組み合わせであり、たいていの場合それほど例外的なスキルではない。ようするに、彼らは組み合わせを例外にしたのだ。スティーブ・ジョブズは世界でもっとも偉大なエンジニアでも、セールスパーソンでも、デザイナーでも、ビジネスマンでもない。だけれども彼は、こうしたすべてに精通し、より飛びぬけたものへこれらを織り上げたのだ。

情熱を見つけるための最後のルートは、スキルを組み合わせより価値の高いものに変えることだ。情熱は成功からやってくることを忘れないように。もしも新しい組み合わせが君によりよい結果をもたらすようなら、それが情熱になる。

なぜ情熱が大切なのか

情熱は魅力的だ。自分がなにかに異常に優れていると信じることから情熱はやってくるように、情熱的であることは、とても誠実に「ところで、俺ってすげえんだ」と言える事だ。


情熱は人びとを君に従わせる。君を信じさせる。しかし最も重要なことは、情熱は君自身を納得させることだ。情熱は君をクレイジーにして、尻を叩くよう仕向けるように意図された感情なのだ。なぜなら君の脳は君の世界を左右できると信じているから。愛と同じように、戦うに値する感情なのだ。

そして愛と同様に、僕らが情熱的でいることは運命に翻弄されることなんかよりも重要なのだ。もし君がまだ情熱を見つけられずにいるなら、新しいものを創れ、流行の先頭に立て、そして新しいコンビネーションを組み合わせろ。だけれど、絶対に探すことを止めてはいけない。

著者(Author):Oliver Emberton
(元記事:How to find your passion - OLIVEREMBERTON)

※大筋の本意が伝わればと思い、爆速で平易に訳しているので、多分に意訳を含んでいます。誤訳や内容での指摘があればコメントお願いします。

2014年10月8日水曜日

【翻訳記事】みんながもっと旅をすれば、世界はより平和な場所になる


幼いころから、いつも遠くの場所へ旅に出たいと夢見てきたんだ。心はいつだって訪れたことのない土地を歩いてた。未だ見ぬものに身を預けること以上に心躍ることはないし、不思議なことに旅をしているときほど心穏やかなこともない。

あたかも遠くへ行けばいくほど、宇宙のリズムとシンクロするかのように。きっと冒険したいという、この欲求は純粋に流浪の精神を持った人々が持ち合わせる上質な特徴なのかもしれないし、単に若さの産物なのかもしれない。いずれにしても、僕のような人は少なくないはずだ。

これと似たような精神性にあらゆるところで出逢った。きっとあなたも、折に触れ、奇妙すぎるような状況で出逢うことがあるだろう。

一度こんなことがあった。4日間のスコットランド高原ハイキングの前、僕と友達はスタート地点へ向かう道の途中でイタリア人のソロ・ハイカーに出くわしたんだ。あの出会いはまさしくセレンディピティという他ない。

ざっくばらんな会話を五分間ほどした後、共にハイクをするという無言の合意に達したことは明らかだった。

次の四日間、僕らはずっと共にいたんだ。食べ物、補給品、そして寝床をシェアして。一緒に高原の神話的でさえある美しさに見惚れ、一緒に木々の中で歌をうたい、一緒にスコットランドの星空の下でウィスキーを飲んだ。

ハイキングが終わったあと、僕らは別々の道を行った。そして僕と友人はそれ以来イタリア人のハイキング仲間に会っていない。

故郷を離れてしばらくすると、僕と同じように旅への情熱にとり憑かれた人びとを見分けることができるようになった。彼らは今まで気づくことのなかった―道の兄妹/姉妹―友人だということ。

彼らの多くはしばしば完全な他人だけど、ふとした瞬間、旧友のように感じるんだ。見知らぬ人には用心することを教える世界において、彼らは事もなくあなたの信頼と親交を手にするだろう。

これが旅が人びとにもたらす効用だ。あなたの心を世界に向け開く。あなたが心を開けば、その場所もあなたに心をひらいてくれるだろう。より多くの人が旅をするなら、世界は必ずより平和な場所になる。

まだ若く自由なうちに旅にでよう、いつかできなくなるから
もし君が22歳、身体は丈夫で健康、学びに貪欲で向上心を持つなら、できるだけ遠く、できるだけ広く旅することを強く勧める。どうやって他の人びとが料理を作り、食べ、そして生きているのかを見つけよう。どこへ行こうとも、彼らから学ぼう。(アンソニー・バーデン)
不幸なことに、高くついたり時間を食ったりで、僕たちの多くにとって旅は選択肢にならない。若者にとって、特に前者のお金はよりネックだ。だけど方法はないわけじゃない。生活が確立されている人にとっては、仕事、家族、そしてその他もろもろの責任があって旅に出られない。

純粋な旅をすることが可能な小さな狭間が人生にはある。君のたった一つの責任が世界の自発的運動に身を任せ、差し出され、教えられるその全てに身を投じるときだ。全ての若者には拘束されない冒険への説明のつかない欲望があるものだから、見て見ぬふりするのはやめよう。

もしまだ君が驚嘆するほど美しく、ダイナミックなこの地球を探検するチャンスを逃しているなら、私は強く勧める。今すぐに現在の快適な環境を飛び出すことを。

境界は幻想だ

グローバル化し結びついたこの世界で、旅をすることの重要性は日に日に増している。グローバル・コミュニティにあって、僕らの運命は今までのどんなときよりも本質的に結びついている。地球の市民の間で団結を高めるような方法を見つけることは不可欠で、さもなければ疑う余地もなく僕ら自身が崩壊への触媒になってしまう。

地図上の境界は歴史を反映したものにすぎず、だいたいにおいて戦争や紛争の産物にすぎないことに気づかなくてはならない。参照点として多少なりとも便利かもしれないけど、人類の複雑性については何も語ってくれない。

旅の体験が変わっていくように、地球との関係性も年々、変わってきている。例えば、五歳児にはシスティーナ礼拝堂の背景にある歴史やその美しさを味わうことはできないだろう。だけど、大人だって同じだ。いつまでも地球の神秘さに気づかない。

どこに住もうと、何語を話そうと、他人が彼らをどう認識しようと、全ての人は根源的に自由に、そして幸福に生きたい。

国境とナショナリズムの支配下にある世界においては、文化相対主義は不可欠なコンセプトだ。

これを強調したうえで、この認識を得るために他の国へ移住したり旅する必要は必ずしもない。だけど、世界中には自分とまったく違う生活を送っている人が何百万といることは忘れてはならないだろう。

自文化と異なるからというだけで、自分の文化が“正しい”とは限らない。善悪の規準は主観的なもので、たいていは歴史と地理の産物だ。

アメリカ出身の人にとって、これを理解することはすごく大切なんじゃないかと思っている。僕らの国は世界のどの国にもましてパワーと影響力を持っている。もし僕らが外の世界を理解しないと、巻き戻せないくらいの混乱を生むかもしれない。あらゆる点で、もうすでに僕らはこれを犯しつつある。

旅は共感と寛容をうむ
目を閉じていれば、生きることは容易い。(ジョン・レノン)
旅は自分以外の人びとの何気ない生活にあなたの目を開かせる。他の文化の美しいほどの複雑性を明らかにし、あなたのなか深くにある多様性に対する審美眼を養う。

同じように、より多くのアメリカ人が旅をしたならば、外の世界に住む人びとをより深く気にかけるようになる。これはアメリカの外交政策におけるより大きな公的関わりに寄与するだろう。簡単に言ってしまえば、世界に対するより深い理解があれば、アメリカ人が馬鹿げた政策をサポートすることも少なくなるということだ。

世界のアメリカに対するイメージに正直でいることも同様に大事だ。アメリカの国外活動のせいで、世界の多くの人は僕らの国に好意的じゃない。僕の経験からいうと、ほとんどの人は国民よりも政府に責任を求めるくらいには洞察的だ。

世界のできるだけ広い範囲を旅すること、そしてこの国のために善行の大使になること。アメリカの正しい本質(友好的で楽観的な人々から成る)に世界の目を向けること。世界の大半の国がそうであるように、僕らにも多くの欠陥がある。だけど旅はそういったものを治癒するのに役立つ。

外国を旅するとき、他の文化を理解することに誠実に取り組むべきだ。単なる観光者に成り下がるのではなく、旅行者になる。文化のスポンジになろう。帰国したあとは、何を学んだのかを周りに伝えよう。

自分がどこからきたのか知るために旅にでよう、僕らは皆ほんの少しの自己反省が必要だ


現在、アメリカは数多くの難しい国内問題に直面している。二大政党からなる僕らの政治システムのせいで、国は公民権運動の頃のようにイデオロギー的に分極化している。暗い日々をくぐり抜けるために、僕らには深い自己反省が必要だ。

比較対象がなければ、自分の国や自分自身を真に理解することはできっこない。旅は生きる上でのオルタナティブに目を開いてくれる。

旅をすれば故郷で自分が享受しているものに気付かされたり、何を変えるべきなのかについてのよりクリアーなイメージを得られる。

アメリカ経済は世界の広い範囲の福利に結びついている。だったらまずアメリカ国内の状況を改善する必要がある。前進できない理由としては、政治的スペクトルの両側になかなか克服できない壁があるせいじゃないか。

歴史、地理、文化、そして教育の違いによって異なった地域に住む人々は単純に現実を違うように捉える。これは何も異なった国にのみならず、国内においても同様だ。

アメリカは広大な国で、人も地理も多様だ。僕らは人それぞれが違った考えを持っていることを尊重しなくてはならないし、僕らの意見が他の意見に優っているということもない。

だとすれば、進歩には妥協が伴うことになる。意見が一致しない相手にも共感できるなら妥協は断然簡単なものになる。旅はこうした理解を生む。

さらにいえば、旅は何も国境を越えたところだけではなく、その内でもいい。自分の州の外側に出て、この国が提供するすべてを探検しない限り、国を真に理解できるアメリカ人はいない。自己を孤立させることで助長されるのは誤解だけだし、結果として、憎悪と恐怖が生まれる。

もしより多くの人が旅をすれば、世界が抱える問題が解決されると信じるほど僕はナイーブじゃない。国土や資源に関する論争は尽きないものだし、現在のところ、地域をまたぐ宗教的な緊張が和らぐという見通しもない。

だけれど、旅が少しでも世界に暮らす市民の相互理解の助けになるならば、地球にとっては計り知れないインパクトを持つ。国際情勢で果たす役割を考えれば、とりわけアメリカ人に当てはまる。

アメリカの偉大な著述家マーク・トゥエインがこう記したように:
旅は偏見、頑迷、そして狭い心を解き放つ。こうしたものに塗れた我々にとってはなくてはならないものだ。広く、健全で、慈悲深い人間観や物は地球の隅だけで生育されるものではなく、すべての人々の人生で成し遂げられるものだ。
著者(Author): JOHN HALTIWANGER
(元記事:If More People Traveled, The World Would Be A More Peaceful Place - ELITE DAILY)

※大筋の本意が伝わればと思い、爆速で平易に訳しているので、多分に意訳を含んでいます。誤訳や内容での指摘があればコメントお願いします。

⇒前回の翻訳記事:「人生はゲーム これがあなたの戦略ガイド
⇒「旅」に関連する翻訳記事:「若いあいだに旅をすべき7つの理由

2014年9月28日日曜日

負荷があって、アイディアがある


アイデアの創発性/生産性は、一定程度の負荷下に置かれているときに一段と高まるのではないでしょうか。

なんらかのクリエイティブ課題に追われているとき、頭を悩ませ、何も浮かんでこないから本を一冊手に取る。
明らかに休日になにも考えずに読んでいるときとは、違ったフレームで字面を追っていることに気づきます。
頭の何処かで課題が頭をもたげ、ヒントを探し続けている。
インプットにスイッチが入ってるんですね、意識的な。
「この切り口は、接続面を変えてやれば、こういうやり方もあるんじゃないか」
立体的に読書をするようになる。
つまり、読書の質そのものが上がるんですね。
目的意識や仮説を持って読書をしろ、というのは本当にその通りなんです。

ようは「カラーバス」と一緒です。
赤を意識して街に出ると、自分が思っていた以上に赤は街に溢れてて、赤い服を着た人や看板がやたらと目に入る。
そもそも人間が認知できる限界量は相当限られている。
ましてや情報が氾濫する中で、真に自分の中にストックされるインプットなんて極わずか。
その中で、上記のような負荷状態にある場合、集中力や視座の深みが違うので、印象/記憶に残りやすい。
加えて、何でもすぐにグーグル(検索)する癖がついた現代人は己自身で思考/発想する能力が退化しつつあるのではないか。
そうなってくると、インプットとアウトプットのバランスが重要で、インプットばかりに時間はかけていられない。
最小時間インプットで最大効果のアウトプットへつなげたいとすれば、まずは前者の質を上げることが大切になるということで、今日青山ブックセンターで購入した『情報を捨てるセンス 選ぶ技術』を明日にでも読んでみようかと。
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ノリーナ・ハーツ,中西 真雄美

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2014年9月17日水曜日

サマーインターン一言備忘録


学部生のときは、博報堂しかインターンに参加しなかったので、院生となった今年はもう少しいろいろ参加してみようということで、夏は5社に応募。(うち通ったのは4社)
以下、参加したものについて一言で備忘録を。(もちろんコンプラがあるので、内容や詳しいことについては書けませんが)

7/4〜5:VOYAGEISLAND
言わずと知れた無人島でのインターンシップ。
キラキラした仲間たち、社員さんと一日駆けまわった。
たぶん今年一番、身体的にしんどかった。もっと普段から運動しよう。

8/8〜10:LeveragesAsia
サマーインターンのプログラムは2つあり、1つは「Asia」でアジアの新興市場で新規ビジネスを開拓するというもので、「Japan」の方は名前の通り日本市場。
自分は迷うことなく「Asia」を選択。
社長はじめエース級の社員さんたちがつねに周りにいるので、フィードバックを逐一いただける。
アイデアをポーンと出して、軽くマーケ調査でブラッシュアップして終わりじゃなくて、財務シミュレーションまだ作りこまなければならず、3日間チームメンバーの家で無眠合宿。
財務諸表くらいバリバリ読みこなせないとビジネスの“ビ”の字も語れないなと。
個人的には相当成長できた3日間。

電通はESで撃沈しましたが、なんとか博報堂は2回目のインターンに参加させていただけることに。
一回目に参加したときとの最大の違いは、軽井沢にて2泊3日の合宿があるということ。
前半の3日は本社でインプット、後半の3日は軽井沢でアウトプット。
考えつくされたプログラムに脱帽です。

9/1〜5:リクルートジョブズ「Summer Internship」
昨今、珍しく事業立案型ではなく、個人&グループワークでキャリアや仕事、そして価値観について考えるタイプのインターン。
徹底的に自分と内省して、未来を描いていく。
本当に参加して良かったです。本来なら自分がお金を払って学ぶべきことを、10万円まで頂き、なんというホワイトさ。

本当ならもっと応募したかったところですが、これくらいに抑えておきました。
選んだ基準としては、行きたいところとか志望ベースというよりは、誘われたとか、知っている人がいるとか、縁ベースです。

秋や冬もいくつか出してみようかと思います。
業界的には夏に行けなかったところに出してみようかと。
当面、決まっているのは10月からのアクセンチュア和魂偉才塾」の「グローバル塾」です。
レバレージズあたりで学んだことを生かせればと思っています。
オススメのインターンなどありましたら、教えて頂ければ幸いです。

研究もしっかりやります。
今週末からゼミ合宿です。

2014年8月7日木曜日

あらゆるところで散逸/滲透する「イノベーションのジレンマ」について―「SPEC〜結〜」『漸ノ篇』&『爻ノ篇』を観て


テレビドラマシリーズからみてきた「SPEC」完結編の劇場版をようやくDVDで鑑賞。
一言でいうと、「残念」の一言。
そもそも前回の劇場版「〜天〜」からして、怪しい雲行きが漂っていて...。
これはドラマだったり、映画だったりの宿命のような気もしなくもないですが。
映画も人気が出れば続編がでるし、ドラマも同様に(とくにアメリカドラマは)シーズンが延々と続いていき、冗長になっていく。(『LOST』『プリズン・ブレイク』)
『LOST』は途中から島を出てしまってるし、『プリズン・ブレイク』も途中からプリズン(牢獄)関係なくなってるし...。
いずれにせよ、こういったドラマが袋小路に入ったサインとして、回想シーンが増えてくると要注意です。

「SPEC」に関しては、途中から明らかに製作陣が巨大になっていったのがうかがい知れるし、ステークホルダーが肥大化していった。
故に作品の初期に尖っていたエッジがどんどん削られていき、作品の目指す先もどんどん広漠になっていき、最後なんかはガイア理論、「シンプルプラン」なにやら、訳がわからなくなっていき、最後も結局収束できずじまいだったような...。

これってなんだか、飛ぶ鳥も落とす勢いで成長していくベンチャーが、ミドル、メガ、そして普通の大企業へ階段を歩んでいくステップに似てるな〜という感慨。
従業員が増えていき、株式公開してステークホルダーが一気に増大すると、桎梏まみれになって、自由に身動きできなくなっていき、ビジョンの共有も困難になっていく。
まさしく「イノベーションのジレンマ」のような...。

2014年8月6日水曜日

「自己暗示」に紐づく習慣について


日々を歩んでいくうえで、もっとも怖いのは「自己暗示」に紐づく"習慣"なのではないかと、夜道にコンビニで買った缶ビールを飲みながらふと思い当たりました。

最近、毎日ビールを飲んでることに気づき、なぜかといえば学校が夏休みに入ったからで。
タバコをやめられないのも、毎日お酒を飲んでることも、
「依存」「アル中」...社会に流布した既存の悪習慣に自分を紐付け、無意識のうちに(しばしば有意識に)正当化しているうちに...いよいよやめられなくなっていく。
裏返せば、自己暗示なので、ふとした瞬間にやめられるほど些細なことでもあるとは思うのですが。

ぽかんといつも頭に浮かぶのは、アリストテレスの箴言。
繰り返し行うことが、人間の本質であり、美徳は、行為に表われず、習慣に現われる。

2014年8月4日月曜日

ぼくが「テラスハウス」をみる理由


院生にもなると、行動パターンも会う人も限られてきます。
代わり映えのしない日々の閉塞感のなかで、沈んでいく感覚があります。
「テラスハウス」のリア充世界とはまったくの対極の位置しています。

だからこそ、イイ。
キラキラ眩しいくらいの生活を送る彼らに羨望のまなざしを投げかけながら、地元の友達と「あーだ、こーだ」いいながらテラスハウス談義するのも、ミーハー感覚=世間とズレないために必要だったりします。
広い社会にはいろんな人がいる。そういう広い視野を失わないように。
若い今しかできないこと、サーフィンに取り組む人、アートに打ち込む人、役者になりたい人、瞬間にダイブしていく彼らは人生を謳歌してる。(英語でいえば"live it up"かな)
そういう刹那が単純に美しいと思う。

「テラスハウス」といえば、アンチが多い気もしますが、僕からすればこのこちょばいというか、少し地に足ついてない感がすごくいい。
だからやらせだとか、どうとかっていうのは二の次で。
ただ目の前で繰り広げられる展開を微笑ましく眺めるのが毎週月曜の楽しみだったりします。

知り合いのTBSの方が新しくはじめた(テラスハウスのような)番組『恋んトス』(放送は毎週月曜深夜0:41〜)もあるし、もちろん『HERO』の新シーズンも観てるし、月曜日が忙しい。
考えてみれば、「あいのり」→「テラスハウス」<フジテレビ>/「未来日記」→「恋んトス」という微妙に系譜めいたものがありますね。
なので、ここ最近の月曜日は一週間で唯一ガッツリテレビDAYで、「HERO」→「テラスハウス」→「噺家が深夜にコソコソ」→「恋んトス」という流れができあがっています。