Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer
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2015年7月5日日曜日

読書『何者』朝井リョウ著


新潮文庫の100冊」が今年もやってきました。サイトもいい感じです。
毎年、読了本の割合が増えていっている気がしますが、そういえば未読だった朝井リョウさんの『何者』を購入。
何者 (新潮文庫)何者 (新潮文庫)
朝井 リョウ

新潮社
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当初はツイート文章が差し込まれていることに違和感がありましたが、読み進めていくにつれ得心。
この物語でツイッターをはじめとしたソーシャルメディアは決定的な役割を果たすからです。
これは新しい表現形式だな、と思いました。
就活の経験がある人ならば誰でも頷いてしまう場面がずっと続いていきます。
次は『スペードの3』あたりを読んでみようかと。

2014年9月17日水曜日

サマーインターン一言備忘録


学部生のときは、博報堂しかインターンに参加しなかったので、院生となった今年はもう少しいろいろ参加してみようということで、夏は5社に応募。(うち通ったのは4社)
以下、参加したものについて一言で備忘録を。(もちろんコンプラがあるので、内容や詳しいことについては書けませんが)

7/4〜5:VOYAGEISLAND
言わずと知れた無人島でのインターンシップ。
キラキラした仲間たち、社員さんと一日駆けまわった。
たぶん今年一番、身体的にしんどかった。もっと普段から運動しよう。

8/8〜10:LeveragesAsia
サマーインターンのプログラムは2つあり、1つは「Asia」でアジアの新興市場で新規ビジネスを開拓するというもので、「Japan」の方は名前の通り日本市場。
自分は迷うことなく「Asia」を選択。
社長はじめエース級の社員さんたちがつねに周りにいるので、フィードバックを逐一いただける。
アイデアをポーンと出して、軽くマーケ調査でブラッシュアップして終わりじゃなくて、財務シミュレーションまだ作りこまなければならず、3日間チームメンバーの家で無眠合宿。
財務諸表くらいバリバリ読みこなせないとビジネスの“ビ”の字も語れないなと。
個人的には相当成長できた3日間。

電通はESで撃沈しましたが、なんとか博報堂は2回目のインターンに参加させていただけることに。
一回目に参加したときとの最大の違いは、軽井沢にて2泊3日の合宿があるということ。
前半の3日は本社でインプット、後半の3日は軽井沢でアウトプット。
考えつくされたプログラムに脱帽です。

9/1〜5:リクルートジョブズ「Summer Internship」
昨今、珍しく事業立案型ではなく、個人&グループワークでキャリアや仕事、そして価値観について考えるタイプのインターン。
徹底的に自分と内省して、未来を描いていく。
本当に参加して良かったです。本来なら自分がお金を払って学ぶべきことを、10万円まで頂き、なんというホワイトさ。

本当ならもっと応募したかったところですが、これくらいに抑えておきました。
選んだ基準としては、行きたいところとか志望ベースというよりは、誘われたとか、知っている人がいるとか、縁ベースです。

秋や冬もいくつか出してみようかと思います。
業界的には夏に行けなかったところに出してみようかと。
当面、決まっているのは10月からのアクセンチュア和魂偉才塾」の「グローバル塾」です。
レバレージズあたりで学んだことを生かせればと思っています。
オススメのインターンなどありましたら、教えて頂ければ幸いです。

研究もしっかりやります。
今週末からゼミ合宿です。

2014年5月22日木曜日

読書『意志と表象としての世界』(Ⅰ〜Ⅲ)ショーペンハウアー著


「世界はわたしの表象である」―これは、生きて、認識をいとなむものすべてに関して当てはまるひとつの真理である。
「生を苦痛とみる」厭世思想家として世界中で滔々と読み継がれてきたショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』を読了。
たしか最初に読んだショーペンハウアーの本は『孤独と人生』だった。
振り返ってみるなら、インドへの旅へぼくを駆り立てた思想の奥底にショーペンハウアーの影響は少なからずあったのだと思う。

孤独と人生 (白水uブックス)孤独と人生
アルトゥール ショーペンハウアー,Arthur Schopenhauer,金森 誠也

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解説やショーペンハウアー自身の第1〜3版への序文のなかでも触れられているように、この本がこのような体裁でまとまるには紆余曲折があった。
ショーペンハウアーが激しく糾弾するのに対し、当時のドイツ哲学・思想界ではヘーゲル、フィヒテ、シェリングなどが中心にいて、ショーペンハウアーはつねに周縁に追いやられていた。
彼のペシミズムはより一層深化していき、だからこそ彼の思想の深度もまた増したと思われる。
たとえば第2版への序文ではこんなことを言っている。
哲学はもう久しい期間一般に、一方では公けの目的のために、他方では私的な目的のために、手段として使われざるを得なかったのではあるが、わたしはそんなことには妨げられずに、もう三十年以上も前からわたしの思想の歩みを追っかけてきた。それはほかでもない、わたしはそうせざるを得なかったからであり、一種の本能的な衝動に駆られて、そうする外には仕方がなかったからである。しかしこの本能的な衝動の支柱となっていたのは、誰か一人が真実のことを考え、隠れたことを照らし出しておけば、それはいつか必ず思索力をもった他の精神によって把握せられ、その人の心を惹きつけ、喜ばせ、慰めることになるであろうという確信である。
さて本著は、第一巻=認識論、第二巻=自然哲学、第三巻=芸術哲学、第四巻=倫理学という構成をとる。
では、それぞれの巻は独立性が高く、どこから読み始めてもいいのかというと必ずしもそうとは言えない。
ショーペンハウアーは第1版の序文のなかで、かようなことを言っている。
本書の中で提示した思想を深く会得するためには、この本を二回読むよりほかに手だてがないことは、おのずと明らかである。しかも一回目は大いに忍耐を要するが―本書では終りが始めを前提とするのとほぼ同じくらいに始めも終りを前提としている、つまり後の各部分が前の各部分を前提とするのとほぼ同じくらいに前の各部分もやはり後の各部分を前提としている―このことを読者の方が自発的に信じてかかって下さらねければ、こうした忍耐は得られないのではないかとわたしは思う。
まだ一度しか通読していない自分にとっては、深く議論を掘り下げたり、敷衍したりすることは彼もいうようにできそうもないことなので、とりあえずは特に自分の思想に共振したところ、示唆深かった箇所をそれぞれの巻から引っ張っておくという作業だけ行っておきたい。


意志と表象としての世界〈1〉 (中公クラシックス)意志と表象としての世界〈1〉
ショーペンハウアー,Arthur Schopenhauer,西尾 幹二

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教義(ドグマ)に没頭するのは閑暇のある理性のやることである。行動は結局のところ教義に左右されず、わが道を行く。大抵は抽象的な格率に従うことなく、まだ言葉になっていない格率に従う。このような言葉になっていない格率を表現したものことそ、ほかならぬ人間の全身全霊なのである。むしろ理性の機能は一段下位にあたるもので、この機能はいったんきめた決心を守らせ、格率を突きつけ、一時の弱みに反抗させ、首尾一貫した行動をとらせることにある。
哲学の任務は具体的な認識を抽象的に再現することである。いいかえれば、継起的で可変無常な直観、一般に情という広範囲の概念のうちに抽象的でないとか明晰でないとかいうネガティブなレッテルで一括されているところのいっさいを、抽象的な明晰な知にいたるまで、つまり一つの永続不変の知にいたるまで高めること、これが哲学の任務である。 
これに関連するところで、フランシス・ベーコンの『学問の発達』より。 
「世界そのものの声をもっとも忠実に復唱し、いわば世界の口述するところをそのまま写しとった哲学のみが真の哲学である。それはまた、世界の模写と反射にほかならず、なにか自分自身のものをつけ加えたりせずに、ただひたすら繰り返しと反響をなすだけのものである」
身体というこの唯一の客観は本質的に他のあらゆる客観とは異なっていて、あらゆる客観のなかでこれのみが意志であると同時に表象である、ということである。これに反し他の客観は単なる表象であり、いいかえれば単なる幻影でしかない。したがって身体こそ世界中でただ一つの現実的な個体である。すなわち身体こそただ一つの意志の現象であり、かつ主観にとってただ一つの直接の客観なのである。 

幻灯の映し出す絵はたくさんあり、さまざまであるが、すべての絵が眼に見えるかたちになるのは、たった一つの焰のためである。この比喩と同じように、相並んで世界を満たし、相次いで事件としてせめぎ合う現象はさまざまであるが、しかしそのなかで現象するものはたった一つの意志であって、万物はこの意志が可視的になり、客観的になったものにほかならない。意志はあの変転推移のただなかにあってもあいかわらず不動である。意志のみが物自体である。 
現象は無限の差異性と多様性をそなえているが、物自体としての意志は一つである。意志は一つであるという認識だけが次のことについての本当の解明を与えてくれよう。自然界のすべての産物にみられる見違えようのないあの不思議な類似性 analogy 、すべての産物は同時に与えられてはいないが、結局同一テーマのヴァリエーションとみなされるあの同族的な相似性についてである。このことと同様に、世界のあらゆる部分と部分とのあの調和、あの本質的な連関、部分と部分とが段階を構成する必然性、われわれがたった今考察してきたあの必然性―こうしたことを明晰に深くつかんで認識すれば、すべての有機的な自然の産物の否定しようのない合目的性の内的本質と意義に対する、真実で十分な洞察がわれわれには開かれてくるはずである。 (⇒ここなんかは昔自分が書いたブログ「世界は一つのアナロジーから成るのかもしれないを思い起こしました)
われわれが生きかつ存在しているこの世界は、その全本質のうえからみてどこまでも意志であり、そして同時に、どこまでも表象である。この表象は、表象である以上はすでになんらかの形式を、つまり客観と主観とを前提とし、したがって相対的である。客観と主観というこの形式と、根拠の原理が表現している、この形式に従属したすべての形式とを取り除いてしまったあかつきに、さらにあとに何が残るかをわれわれは問うてみるなら、これは表象とはまったく種類を異にしたものであって、意志以外のなにものでもあり得ず、それゆえこれこそ本来の物自体である。 
意志と表象としての世界〈2〉 (中公クラシックス)意志と表象としての世界〈2〉 
ショーペンハウアー,Arthur Schopenhauer,西尾 幹二

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まず芸術哲学について。個人的には予想に反して、2巻がいちばん興味深く読めた。
きっと再読するときには、違う箇所や巻に興味を持つとは思うのだけれど。
純粋に後天的(アポステリオリ)には、つまり単なる経験だけからでは、いかなる美の認識も可能にならないであろう。つねに美の認識は、先天的(ア・プリオリ)である。それはわれわれにア・プリオリに知られている根拠の原理の形態とはまったく違った種類の認識ではあるが、少なくとも部分的には、美の認識はア・プリオリなのである。
人間の美とは、意志の認識可能性の最高の段階における意志の完全な客観化である。  
真の詩人の叙情詩のうちには、人類全体の内心が写しとられ、過去、現在、未来に生存する幾百万の人間がいつの時代にもくりかえし出会っていた似たような境涯で感じたこと、またこれからも感じるであろうことは、真の詩人の抒情詩のなかに、適切な表現を得ているといえる。幾百万の人間が置かれてきた境涯は、またこれからも休みなく繰り返され、人類そのものと同じように恒常的な境涯としてありつづけ、つねに変わらぬ同じ感情をよび起こすものであるから、真の詩人の叙情的作品は、千万年を貫いて真実で、感化を与え、またつねに新鮮である。なんといっても詩人とはそもそも普遍的な人間のことだからである。いずれかの人の心を動かしたこと、いずれかの境涯で人間の本性から生じたようなこと、いずれかの場所で人の胸に棲みつきしだいに大きくふくらんでいったこと―これらはすべて詩人のテーマであり、詩人の素材である。 
歴史、地域を超えて人々の心を打つ作品、言葉、詩。その普遍性。 

仏教にも傾注していたショーペンハウアー。
脚注にもヴェーダなどからの思想的影響が色濃く現れている。
たとえば、ヴェーダより、
人が死ぬと、その人の視力は太陽と一つになる。その人の嗅覚は大地と、味覚は水と、聴覚は大気と、言葉は火と一つになる。

わたしの見解では意志こそ第一のもので、根源的なものであって、認識はあとから意志に単に付け加わったものにすぎないのであり、意志の現象にその道具として帰属しているものが認識である。それゆえいずれの人間も、そのあるがままの相は、意志からこれを得たのであって、意志の性格が根本であり、意欲はその本質の根底をなしているからである。これに認識が付け加わるにつれて、人間はだんだんに経験を重ねていくうちに、自分が何であるかをやがて知っていき、すなわち自分の性格をわきまえるようになっていくだろう。つまり人間は、意志の結果として、また意志の性能に応じて、自分を認識するのであって、古いものの見方にもあるように、認識する結果として、また認識に応じて、なにかを意志するというものではそもそもない。 
すなわち人間は認識したものを欲するのではなく、欲したものを認識するということ。
享楽であれ、名誉であれ、富であれ、学問であれ、芸術であれ、美徳であれ、それらのいずれかを求めようとする一定の努力は、われわれがその努力に関係のないあらゆる要求を捨てて、また他のあらゆるものを断念したあかつきにのみ、ほんとうに真剣に、そして上首尾に追求することができるものなのである。
漠然と抱く将来への不安や、ちょっと大仰だけれど就活へのアドバイスにもなるんじゃないかと思った箇所として、
単に、やってみたいという意欲があるとか、やればできるという能力があるだけではまだ不十分であって、人間は自分が何をやってみたいかと欲しているかを知っていなければならないし、やれば何ができるかを知っていなくてはならないのだ。かくてはじめて彼は性格を示すことになろうし、そのあとでようやく彼はなにか正当なことを成し遂げることができるであろう。そこに到達するまでには、彼には経験的性格の自然な帰結がそなわっているとしても、まだ無性格である。で、彼は大体において自分に忠実な人で通し、自分の魔神(デーモン)に引かれつつ、おのが進路を一目散に走り抜ける人に相違ないとわかっていても、それでも彼は真一文字の線を描くことはなく、震えた不揃いな線を描き、動揺したり、横にそれたり、後戻りしたりして、後悔と苦痛のたねを蒔くことになろう。こうしたことはすべて、人間におこない得ること達成し得ることは大なり小なり多数あることを現に目前にしていながら、そのなかで自分にだけ適するものは何であるかを彼が知らないために起こることなのである。(さらに過去に書いたブログで関連がありそうなものとして、「17歳のマルクスから、就活生のあなたへ」「就職、進学、そして生きていく事」)
満足はつねに新しい努力の起点であるにすぎない。努力がいたるところで幾重にも阻止され、いたるところで戦闘しているさまをわれわれは目撃する。かくて、そのかぎりでは努力はつねに苦悩である。努力の究極の目標というものはなく、それゆえ苦悩にも限度や目標はない。 
意志と表象としての世界〈3〉 (中公クラシックス)意志と表象としての世界〈3〉 
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そして倫理学へ。
度外れた歓喜や激しすぎる苦痛というこの二つを避けることができるためには、われわれは休みなく事物の全体的な連関を完全に明瞭に見渡して、それらの事物が帯びていて欲しいと望むような色彩であればこれを実際に自分の方から事物に押しつけるようなことをしないよう、辛抱強く警戒しつづけるだけの自制心を有していなくてはなるまい。
長いですが、本質的かつ大事な箇所なので。 
根拠の原理にとりすがって前へ進み、個々の事物にしばられているこのような認識―これを超越し、イデアを認識し、「個体化の原理」を突き破って見ている人、現象の諸形式などは物自体にとって関係がないということを自覚している人だけが、永遠の正義を理解し、把握する人であるだろう。さらにまたこのような人だけが、この同じ認識の力を借りて、徳というものの真の本質を理解することができるただ一人のものであり、徳の本質については当面の考察とつないでやがてわれわれに解明されることと思う。 つまり今述べた認識に達している人は、意志こそはあらゆる現象の即自態 das An-sich なのであるから、他の人々にふりかかる苦しみもわが身のこうむる苦しみも、悪も禍も、現れ出る現象はたとえまったく異なった個体として成立し、たとえ遠い時間と空間によって距てられてさえいるのだとしても、それでもつねに、ただあの唯一同一の本質にのみ関わりがあるのだということを明瞭に知るにいたるであろう。彼はまた、苦しみを課する人と苦しみを耐えねばならない人との差異はしょせん現象にすぎず、物自体―この二人のいずれのうちにも生きている同じ意志―にはそういう差異は関わりがないことを見破っている。こうした場合、二人のうちに生きている同一の意志は、意志への奉仕にしばりつけられている認識に欺かれて、意志は自分というものを見誤り、その現象の中の一つにおいては幸福を高めることを求めるかと思うと、もう一つ別の現象においては大きな苦悩をこうむらせたりして、こうして激しい衝動に駆られ、意志はわれとわが生身の肉を噛み砕きつつ、しょせんつねに自分自身を傷つけているにすぎないのだということを知らない。こんな風にして、意志はおのれの内部に包蔵する自己自身との抗争を、個体化という媒介を通じて表面にあらわす。
哲学とはなにか、かくあるべきかは常にショーペンハウアーの念頭にあるように思われる。 
世界の本質全体を抽象的に、一般的に、明瞭に概念のかたちで再現し、かくて世界の本質全体が反映している模像として、理性の永続的で不断に用意された概念のうちにこの世界の本質を託すること、これこそが哲学であり、哲学とはこれ以外のなにものでもない。
ショーペンハウアーの厭世観、ペシミズムがなぜ人々の心を掴んで離さないのか。
きっとそこには絶望を超えたたえぎる生命感が満ち溢れているからではないだろうか。
この世界の掲げ得る最大にして、最重要、かつ最有意義なる現象とは、世界を征服する者ではなしに、世界を超克する者である。世界を超克する者とはすなわち、真の認識を開き、その結果、いっさいを満たしいっさいの中に駆動し努力する生きんとする意志を捨離し、滅却し、そこではじめて真の自由を得て、自らにおいてのみ自由を出現せしめ、このようにして今や平均人とは正反対の行動をするような人々、そのような人々の目立たぬ寂静たる生活振舞い以外のなにものでもじつはない。 
くわえて、 
彼の眼差しがいちいちの個別的な苦しみから普遍的な苦しみへと高められていって、彼が自分の苦悩を全体の単なる範例にすぎないとみなし、倫理的な点で彼が天才となって、一つの事例は百千の事例に当てはまるものであるという風に考え、こうしてこの生の全体が本質的な苦悩であると把えられ、生の全体が彼を諦念へと導くにいたったとき、そのようなときにはじめて、彼はほんとうに尊敬に値する人物として立つことができるようになるのである。
最後に短い引用を、第1版への序文の最後から。
しかし人生は短いが、真理は遠くまで影響し、永く生きる。さればわれわれは真理を語ろう。(1818年8月、ドレスデンにて誌す) 

2012年10月27日土曜日

就職、進学、そして生きていく事


このまえ機会があり、ゼミの後輩へのメッセージを書いたのでここにもログとして残しておこうかと思います。体的には就活のアドバイスなのですが、僕はほとんど就活という就活もしていないので、ぼくなりに自由に書いたつもりです。そしてそれがコンプライアンスに関わることもないと思うので。

【Ⅰ.】
僕の場合、就活という就活はほとんどしていないので、僕なりに自由に書かせてもらおうと思います。そしてそれが、将来の考え方や就活それ自体の一助になって、なにか一つでも伝わるものがあればいいなと思って筆を執ります。
そもそも自分の中で「就活をするために生まれてきたわけではない」あくまでそれは数多くある選択肢・オプションの一つでしかなく、人生のルールではないと信じていたのが根底にあります。「周りがそうするから、とりあえず自分も」という同調圧力に自分の意思が簡単に屈して、一度の人生を流されるのもなんだか腑に落ちないという皮肉な反抗心みたいなのがありました。


常識にとらわれるな、そんなもの他人の考えにすぎない。そんな考えに惑わされて、自分自身の心の声を聞き逃してはいけない。(Don’t be trapped by dogma – which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice)」ってジョブズも言ってます

それでも完全に就活していないといえば語弊があります。最初からそういった反抗心だけで就職を選択肢から除外すること以上に視野狭窄なことはないと思ったので、広告代理店でインターンをすることにしました。その流れで同社の選考を受けたり、Googleも受けて最終面接の前まで行ったりもしていました。結局、どちらも結果は駄目でしたが、その理由は明白です。単純に「自分が何をしたいのか」を突き詰めることができていなかったし、そこでなければならない必然性を説明することができなかったからです。それに気付けただけでも、自分にとっては意義深かったです。

その当時、付き合っていた彼女は他のことが目に入らないほど、それに向けて一直線に全力疾走していました。目を輝かせながら、夢を実現した自分の姿を語っていました。僕にはその時、特定の会社やこれしかないと断言できる情熱が欠けていました。


マタイ福音書にこうあるように
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。(Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you)

「初志貫徹」入学当初から考えていた進学をやはり目指そうと改めて決意したのです。

【Ⅱ.】
どれだけの日本の学生が胸を張って大学の四年間で勉学に励み、専門を身につけたと言えるでしょうか。僕は大学二年次にアメリカへ留学しましたが、そこで大いに刺激を受けました。朝から晩まで図書館に缶詰で勉強する友達会社を三つも経営している友達など、いまこの瞬間に全力投球している人々に感銘を受けたのです。


だから大学院に進学し、二年間思いっきり勉強にどっぷり浸かり、それから「本当に自分が何をしたいのか」を見極めても遅くはないと思ったのです。ユダヤの教えにこんなものがあります。「すべて金で買うことができるが、知性だけは買うことができない」自分の奥深くで感じた「もっと学びたい、知りたい」という欲求を死蔵するよりも、リスクを背負ってでもこの気持ちに正直でありたいと思ったのです。今日やるべきことを明日に後回ししたら、明日やるべきことはいつまでたってもできない、だってそうでしょう。

自分の直感にしたがった決断は決して僕を裏切ることはない、そう信じています。アメリカにいた時、友達がこう言っていたのを思い起こします。「拒絶するってことは神様が君を守る時のやり方なんだ。(Rejection is God’s form of protection)」「浪費するだけの人生なんて、一番悲しい自殺みたいなもんさ。(A wasted life is the saddest form of suicide)」大好きな漫画『バガボンド』を何気なく読んでいた時、沢庵というお坊さんが言うセリフが不意に肺腑を衝きました。「そろそろおのれを眺めてみたらどうだ」

【Ⅲ.】
何かに迷った時、先人たちの経験・言葉が助けになることがあります。そこで僕がこれまでに読んだ本の中でとくに感慨深かったもの、ヒントになりそうなものをいくつか。古典が多いのは古典には「古典」になりえる所以があるからです。
  • マルクス『資本論』
  • セネカ『人生の短さについて』
  • デール・カーネギー『道は開ける』『人を動かす』『話し方入門』etc
  • 吉野源三郎『君たちはどう生きるのか』


【Ⅳ.】
就職か進学か。そんなはずありません。多くの選択肢が眼前には広がっています。それを見てみないフリするんじゃなくてあがいてみる。ジョン・キムさんが「他人の道を行けば楽だが従属することになる。自分の道を行けば苦しいが独立することになる」と、そしてエジソンが「もうこれ以上できない。そこでやめるか、[いよいよ、これからだ]と立ち上がるか、このわずかな[一念]の差が、人生のおおきな分かれ目になる」と言っているように、人生はリハーサルではなく本番一発勝負です。20歳そこそこ、すでに(人生80年として)4分の1が過ぎてしまっている。誰かが「どんなにつらいことがあっても80歳になった自分への思い出のプレゼントだと思えば楽しくなる」って言ってたことを僕は時々思い出します。

あ、あとツイッターで超面白くて個人的に速攻ふぁぼったツイートも。

「 人生は神ゲー!セーブできないシビアなシステム、本気で頑張ると倒せる絶妙にバランス調整された敵、全てのキャラが深い人間性と歴史をもって登場、グラフィックが綺麗、BGMが無限、複雑で洗練されたシナリオ、自分を愛してくれるキャラがいる、無料」
就職をするっていうことを僕はけっこう重く捉えています。もちろん転職もあるでしょうが。アルバイトをしていると、よく年配のサラリーマンのお客さんが来店します。「新卒のときは、数年勤めてから起業するつもりだった。すぐにやめてやるつもりだったんだよ。でも気づいたら早いもので、もう定年まであとわずか」この類の話は何度聞いたかわかりません。入社し、数年がすぎると昇進などもあり、部下の面倒や責任を伴っていき、激務に忙殺され当初の志は影を潜めていくのだと想像します。人間は惰性に弱い生き物だから。 




っていうわけで幾つか、まだ就職する前にできることの例をいくつか挙げてみると...

<進学のための奨学金>
その他にも探せば探すだけあります。お金で進学・留学を諦めることは決してないと思います。

<海外で働く>
それ以外にもNGO・NPO、各種インターンで多く機会は開かれていると思います

<その他>
考えれば考えるだけ、やることなんてある気がします。上記は僕目線でざっくばらんに適当に選んだ一例にすぎません。

【Ⅴ.】
はじめからおわりまで、多くの人の言葉を引用というかバラまいてしまいました。人生一度きりで、まだ僕は22歳。知らないことばかり。だから先輩たちの声はいつだって道を示してくれます。「生きるとは、一瞬ごとに、膨大な可能性が死んでいくということだ」と茂木さんか誰かが言ってましたが、それでも僕は孫さんの言葉にも強く惹かれます。


「今日は人生で最も素晴らしい日になる。毎朝その様に願うことが大切だと思う」
みんなが心からやりたいことを見つけ、その夢を実現できることを願っています。頑張ってください!
PS. 辛い時はミスチルの「終わりなき旅」を、就活の答えが知りたくなったら「Any」を聴いてね(算数のドリルの後ろについてる答案みたいに)

2012年10月26日金曜日

就職率降下に関する少考ー頭脳流入が加速化しているのかもしれない


就活氷河期と言われて久しく、就職率も伸び悩んでいる大学が多いようです。
そもそも「就職率」自体が疑わしいものではあるのですが。
ノマド、フリーランスなど「働くこと」に関する見方が多様化するなかで、一体どれだけの人たちが感化され実際にそれを実践しているのかはわかりません。


グローバル化が間断なく進行した結果、その影響を受けていない国は皆無でしょう。
特にその傾向が久しいのがヨーロッパを中心とした移民受け入れ国家。
スペイン・ イタリア・フランスなどはよくニュースで聞く通りなんですが、驚くべきは社会保障が手厚いことで有名な北欧諸国でも同様の事態が生じているということです。
【参考】
スウェーデンレポート - スウェーデンで見た「福祉国家」の実態
「若年層失業率48.9%!なぜスペインには仕事がないのか?」~日本とスペインの類似性とは?~


そもそも欧米諸国で「移民フォビア」が深刻化しているのは、フランスの「ブルカ是非問題」をはじめとした市民権を巡る文化の衝突や社会保障の奪い合いなど多岐にわたる問題を惹起しているのは周知のとおりです。
【参考】「ブルカに揺れるフランス
3K労働者としての移民から知識集約型の頭脳労働移民へとシフトしてきているのが実情で、グローバリゼーションという現象そのものが地殻変動を巻き起こしはじめているというのが正しい認識なのではないでしょうか。

先日、アメリカ留学時代の友達から連絡があり、日本の大手重工業メーカーに就職したとのことで、僕も正直驚きました。
彼はエンジニアで日本語は在学中に個人的に勉強したものなのですが、それでも日本語検定一級までとるという猛者。


アメリカも日本、韓国などと同様に慢性的な失業率の高さに喘いでいるのが事実で、大学生も相当の危機感を抱いており(留学中、友人と話す中で僕もかなりそれを感じました)、目はアメリカ本土の外も含めかなり広範に広がっている気がします。

楽天やファーストリテイリングが社内公用語を推し進めていますが、これには当然、社員教育のための費用がかかり、抜本的な改革をしようとするとかなりの投資が必要となります。


だったら、パナソニックなどのように世界から人材を確保したほうが近道です。

こうなると就職と土地・国が必ずしも結びついてこなくなります。技能・知識がない人は世界の隅に追いやられるか、賃金の低い労働に就労するか。逆に有能な人材は世界の中心で活躍する。国籍にとらわれないコンピテンシーベースの就労体系が世界規模で構築されつつあるということだと思います。


2012年5月19日土曜日

映画『宇宙兄弟』


大好きなマンガ『宇宙兄弟』の映画版、やっと観れました。
基本的に原作に思い入れが強いと、どうしても批判的な視点で映画を眺めてしまうんですが、今回は真っさらな気持ちで観ることを心がけました。

なんといっても音楽が素晴らしい。
これこそ映画のなせる技ですよね。



ぼくが普段からいつも聞いてる曲ばかりで、いちいちテンションが上がりました。
コンテクストによって音の響き方、身体に伝わる振動に違いがでるのは興味深いです。



もちろんColdplayも好きですが、Sigur Rósに関しては比べ物にならないくらいの個人的な思い入れがあります。
特に受験期はSigur RósとMy Bloody Holidayで乗り切ったといっても過言じゃないくらい。
【参考エントリー】「Sigur Rósと高校読書



受験が終わった後、アイスランドに行きました。
お世話になったSigur Rósの母国。
一体、彼らがどんな環境・街で育てばあんなメロディーや世界観を築けるのか。
Sigur Rósが好きってだけで、アイスランドに一ヶ月滞在したのです。


宇宙兄弟に話を戻します。
きっと制作に携わっていた人も『宇宙兄弟』大好きなんだろなーと伝わってきました。
それと同時に多大な苦悩もスクリーンを通して伝わってきました。
どの部分を切り取るのか。
原作者の意向もあって当初から続編は製作しないとのことだったそうなのですが、映画を観てその意味が分かりました。

やっぱり誰もが心を動かされるストーリーって真っ直ぐでひねりのない、終始キラキラした輝きを帯びたものなんだなと、なんとなく思いました。


夢を追っている人って単純にカッコイイですよね。
就活で何か迷いを抱えている人がいるなら観てほしい、そして是非マンガもみてほしい。
【参考エントリー】

"Space Brothers"カッコよすぎです。



大学生ブログ選手権

2012年3月11日日曜日

ティルと優しかったその主人

D通さんから「時計をテーマにちょっといい話を考えてください」とのことだったので、こんな物語を書いてみました。



チクタク、ちくたく、チク、たく...。 
僕は「時」の中を生きている。 
そんなことに思い巡らしながら、ティルはラッセル川のほとりの大きく角張った石に腰かけ、淀みない流れをただうつろうつろ眺めていた。 
当時のジョージア州は黒人奴隷への虐待が日常的に行われていたし、家畜同然の扱いが普通だった。 
けれど、ティルの主人は違った。主人は優しかった。ティルをどんなときでも気遣ったし、毎日あたたかい食事を与えてくれた。家族のように見守ってくれたんだ。 
ティルはすすんで重労働を買って出たし、人一倍よく働いた。喜ぶ主人をみるのが大好きだったし、主人もティルを大切にしてくれた。 状況はゆっくりとでも確かに変わっていった。 
病が主人を覆いはじめ、身体が衰弱をはじめていった。 
「マスター、右腕に付けているものにはどんな意味があるのですか。イエス様へのお祈りのためのモノなのですか」 
読み書きもままならず、計算も知らないティルに主人はただ微笑むばかりで、「ティル、じき分かるさ」と力弱に答えるばかりだった。 
ティルは気づいていた。「死」が近いことも。主人が右腕のモノに目を向ける頻度が多くなっていることも。その度、哀しい顔をすることも。 
あたかもそれは淀みなく不可逆にラッセル川を下る川流のように主人を蝕んでいった。 
静かでおだやかな朝だった。ティルは主人のすぐ側で寄り添い、彼が発する言葉の一つ一つに耳を傾けていた。 主人は口をわずかに上下できるのがやっとだったが、弱った声でティルに語りかけた。 
「ティル、君は生きている。これがどうゆうことか分かるかい?「死」があるから 「生」があるんだ。これは分かるね?川は流れるよね。僕らは「時間」という川を泳いでいるんだ。時を生きるとは、命を生きること。時間は限られている、だから僕らは必死に泳ぐんだ。そこにも終わりがある。でもね、それは終わりじゃない。大きな海に出ていくことなんだ」 
主人は最後の力を振り絞り、右腕につけていた時計を外しながら言った。 
「さあ扉を開けて、これを持って。いままで本当にありがとう」 
時計を右腕につけたティルは二度目の生を授かった。 
ティルは思う。主人が与えてくれた命を抱えて生きていく。一秒を絞り尽くすように、 その一滴一滴をこぼさないように。一瞬の中に「命」をねじ込んでいくように。 
ティルは知っている。眼前のラッセル川が大西洋へと続いていることを。


大学生ブログ選手権

2012年1月31日火曜日

17歳のマルクスから、就活生のあなたへ


今でいう高校の卒業に際して当時17歳のマルクスが書いた「職業の選択にさいしての一青年の考察」という文章が将来の進路に頭を悩ませ、路頭に迷っている就活生の一助になるような示唆に富んだものだったので紹介したいと思います。

「地位の選択にさいしてわれわれを導いてくれなければならぬ主要な導き手は、人類の幸福であり、われわれ自身の完成である。これら両方の利害がたがいに敵対的にたたかいあうことになって、一方がほろぼされなければならないなどと思ってはならない。そうではなくて、人間の本性というものは、彼が人間と同時代の人々のため、その人々の幸福のために働くときのみ、自己の完成を達成しうるようにできているのである」
17歳とは思えないほどに、鋭い視座を持ってして社会のあり方を展望し、文章として貫いています。
マルクスの終生を知る後世のわたしたちは彼が言葉だけでなく、それを行動に移し、「平等」を追い求め続けたことを知っています。

富や地位、を利己的に求め続けること、それを根拠に据えて進路を選ぶことでは決して人生の完成は訪れることはない。
社会は多くの他者との複雑な関わり合いの中で、お互いに持ちつ持たれつ幸福を積み上げていくことで、結果として成り立っていくものであると彼は言っているのではないでしょうか。

自分がやりたいことは、社会にとって、同じ社会で生きる人にとっていかなる意味を持ちうるのか、一度視点を自分の外まで拡張してみることで、自ずと答えもクリアにあるのかもしれません。
大学生ブログ選手権

2012年1月20日金曜日

カヤック、バスキュール、トライバルメディアハウス

Surf Wax America/ Weezer


なんとなく僕がいつも気にかけてる会社3つ。
カヤック。面白い。アプリにしても、コンセプトにしても面白い。
カヤックのヴィジョンは三段階あるそうです。

1段階目「自分たちが面白く働くこと」について。

2段階目は「自分たちだけが面白いのではなく、周囲から面白いと認められること」。

3段階目は、「人生が面白くなりました」という人を一人でも増やすお手伝いをすること。

詳しいことはHPを参照ください。




バスキュール。HPがクリエイティブすぎて吹きました。
国内外問わず、ワークの評価が高くて数々の賞を受賞していらっしゃいます。
社長の朴さんのツイッターはコチラ。@boku

TMHは社長の池田さん(@ikedanoriyuki)のユーモラスな感じから会社の雰囲気も伝わってきますよね。池田さんは『キズナのマーケティング』や『ソーシャルメディアマーケター美咲』の著者でもあります。


それでいてTMHには優秀な人が多くいる印象。
Don't be lame」を書いていらっしゃる西村さん(@nike1125)もTMHにいらっしゃるし。

ほかにもpaperboy&co.など気になる会社は多数ありますが、特にぼくが前から気にかけていた3つの会社。可能性しか感じません。



大学生ブログ選手権

2011年12月2日金曜日

すべての就活生のみなさまへ

ぼくらの「戦争」がはじまった
12/1。
堰を切ったように、ダムが決壊したみたいに、「2012就活」がはじまりました。
23:59から0:00になった瞬間、アクセスが集中して就活サイトのサーバーがダウンしました。
参考記事: 「リクナビ」サービス一時停止 新卒採用活動の解禁でアクセス集中原因か

ツイッターのTL上ではサイトの開設前からカウントダウンをするひとも多くいました。

その当時のTLの様子がわかるツイートをいくつか。




おそらくほぼすべての大学3年生にとって「就活」は初めての経験だと思います。
人生にはこういったことが何度かありますよね、受験のときもそうです。
ひとは初めてのことを前にすると、とても不安になります。
自分だけ立ち遅れたくない、ついていきたい、だから情報にすがろうとします。
時には振り回されたり、右往左往してしまうのです。

そんな学生の不安に漬け込む就活塾には個人的には懐疑的です。
あたかも新興宗教のように見えることすらあります。
「マイナビ」「リクナビ」など就活支援サイト、面接やESなどを指導する就活塾、その他ソーシャルリクルーティングサイトなど「就活」を取り巻く環境自体がビジネス構造化してきていると感じています。
おそらく就職氷河期が叫ばれ、学生間の不安感が増大するにつれ、市場規模もかなり肥大化しつつあるのではないでしょうか。

とかく、「就職」職に就くということは人生のすべてではありませんが、大きな部分を占めることは間違いないと思います。
一生同じ仕事を続けるとは限りませんが、「就活」がその後のキャリアパスに与える影響は軽んじることはできないということもまた事実だと思います。

それまではサークルに没頭していたり、学生生活のモラトリアムを謳歌していた学生も踵を返すように散髪を済まし、髪を黒くしてスーツを身に纏い、セミナーや説明会に集います。
その光景はまるでジョージ・オーウェルが『一九八四』で描いたビッグブラザーに支配された世界のように。



広告的観点からみる「リクナビ2013」

先日、マイナビの街頭広告が話題になっていました。


男の子も、女の子も黒いスーツを着込んで「考えている」ポーズをとっています。
この広告をみてどう感じるでしょうか。

この広告に関して@さんが面白いツイートをいくつかしていたので紹介。





そうなんですね、この広告を生理的に気持ち悪いと思わない「安直な就活生」に向けられた広告設計なんですね。
これは広告業界の人からしたら「なるほど」って感じなのではないでしょうか、ぼくも広告会社でインターンをして広告を少しかじっているのでそのように思いました。
良くも悪くも「バズ」を生む、バイラルにつながるようになってる。
「没個性になっちゃいけないんだ」と反面教師的に受け取る学生もいるだろうし、画一的に周りに従うことを半強制し、学生の個性を奪っている日本の就活制度批判の導入になることもある。とにかく「話題」になれば、広告としては成功というわけです。
その点は、さとなおさんもブログで書いていました。

いかに素通りされないかが広告の真価です。
街に横溢する広告群、電車内の中吊り広告、ネット広告。
人が一日に目にする広告は数多で実際に記憶に残るものはほんの少数でましてや「話題」になるものなんて1つあればいいくらい。
その意味でこの広告は幾千もの広告レースから頭ひとつ抜けだしたと言えるのではないでしょうか。


↑にその点が詳しく書かれています。
ガラパゴス諸島はガラパゴス諸島であるというアイデンティティをきちんと示してくれこそ、そこに適性のある生き物たちだけが残ってくれる。
マス広告が効かなくなった時代は全方位に向けた広告よりも、特定のアイデンティティ集団に向けた広告が威力を発揮するのだと。

以上が広告的観点からみた「マイナビ2013広告」の評価ですが、一般的には違った解釈がなされます。
これをご覧いただければ一般的認識の総意はだいたいつかめると思います。
こんな日本に誰がした? シューカツ生は「クローン人間」か


それはまるで「冷戦」のように

さて話が「広告」に逸れてしまいましたが、ぜひすべての就活生に読んでもらいたい先輩たちの言葉があります。
まずは日本の就活制度を病理と糾弾する急先鋒・茂木健一郎さんの連続ツイート「新卒一括採用に対して宣戦布告」と電通のコミュニケーションディレクターの岸勇希さんの連続ツイート「就活生へのメッセージ」です。

みなさんはどう感じたでしょうか。
ぼくは以前から茂木さんの主張にずっと賛成だったし、いまもそうです。
たぶんぼくや茂木さんのように今の就活制度の欠陥に気づいて、憤りを覚えている学生はたくさんいると思います。
だけど歴史的に、文化的にシステムとして巨大に立ちはだかる制度にぼくら学生は為すすべなく後退し、唾飲したあとルールに迎合してゲームに参加するのです。
ぼくの友人の@メッセージ性の強いツイートをしていてハッとしました。





その通りなんだと思います。
ホリエモンが前に言っていました。
「日本に生まれた時点でサイコロの6をひいたようなもん」
これは本当にその通りで、日本国籍を持っていればビザで世界の殆どの国に行ける。
中国のように情報統制されていないからありつける情報に限りはない、いくら失業率の高さが叫ばれているとはいっても韓国に比べればまだまだだし、アメリカだって例外じゃない。
学生のうちから起業する人だっている。
会社に入って修練して経験積んで、ネットワークや資本を形成してから起業する道もある。
大学の先輩でもあるサイバーエージェントの藤田社長も一度、社会に出た上で血のにじむような努力の末、営業力をあげて、社会人時代に培ったネットワークをフル活用してサイバーエージェントを一流の企業に成長させたのです。
詳しいことは『渋谷で働く社長の告白』に書いてあります。



以前、「きゃりーぱみゅぱみゅから見た「大学生の就活」」というブログを書きました。
ぼくの気持ちは今も未だ、このエントリーに書いたままですが、1つ気付いたことがあります。
「日本の就活制度なんてクソ食らえだ」と批判して罵倒することは簡単ですが、
就活を嘲笑する人も、就活に躍起になる人も「盲目」になってはいけないということだと思います。
思考停止に陥らず、常に自分の可能性を最大化できる道を模索し、機会を貪欲に探し求めること。
それを「就活」に見出したのなら何にも迷うことなく進むのが正解なのではないでしょうか。

まだまだ迷っている人も多くいることと思います。
それでもこのブログで紹介した人の言葉の中に一つでもヒントとなるようなコトバがあったのであれば幸いです。
寒くなって来ましたが、頑張りましょう。
就職する人も、進学する人も、夢に突き進む人も。
大学生ブログ選手権