Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2013年7月9日火曜日

宗教・理由・占い―「与えられること」について


こんなものがインスタで流れてた。
最初に見つけた3つが今自分に必要なものなのだそう。
僕は最初に「希望」「睡眠」「信頼」が目につきました。

まあ、穿った見方をするなら、「こんなもん、誰にでも当てはまるもんしか入ってないじゃろが。ボケ」となるわけですが。
それはもちろんそうなわけで。
朝のニュースで必ずやってる占い。手を変え品を変え、繰り返し毎日やってますよね。
誕生月、星座、血液型....などなど。

こんなこと言ったら叱られるかもですが、(まああくまで僕の個人的な主観として聞き流してください)
大枠でとらえると、「宗教」も同じなんじゃないかなーって思うんです。
仏教全般っていうとかなり誤解を招くので、とりわけ日本の宗教仏教、たとえば浄土真宗はキリスト教と根底で近似していて、「信じていれば救われる」という思想があるわけですよね。

人はある瞬間に、自分の意思とは別個のところで(これも宗教によっては非難されそうなんですが)この世に産み落とされ、右も左も分からない中で、多くの人の手を借りながら、曲がりなりにも生の軌跡を歩んでいきますよね。

そこで、思うのは「人は根源的に『理由』を外在的に与えられることを求めているんじゃないか」ということ。前意識のレベルで。

関係ないかもしれないけど、「なぜ、その職業に就こうと思ったのですか?」とか「なぜ、これを始められたのですか?」とかその端緒なりモチベーションの淵源となったものって、理由を与えられたから、(少なくとも前意識的にそう錯覚したから)という場合が多いように思うわけです。
たとえば「小学校のときの先生が褒めてくれたから」はたまた「お父さんに、『お前、才能あるよ』と言われたから」など。
自分の内在とは別個のところで、"外在的"に誰かに何かを「与えられた」と感じたときに、それが生を彫琢していく(キャリアを形作っていく)のではないかと思うんですね。

そういう意味で、「思い込み」が人生の駆動力になっていくことが往々にしてあるんですね。
その想いが極めて強い場合に「運命」とか「宿命」に転化していく。

こんな命題というか戯言を言って、この短いエントリーを締めようと思います。
世界はプラシーボ効果の総体である。

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