Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2013年7月1日月曜日

読書『(株)貧困大国アメリカ』堤未果著

(株)貧困大国アメリカ (岩波新書)

そういえば予約していた堤未果(@TsutsumiMikaさんの『(株)貧困大国アメリカ』が昨日、届いてさっそく読み進めたら、期待以上の内容で一気に引きこまれそのまま読み終えました。
思えば、大学1年だったか2年だったかのときに読んだ『ルポ 貧困大国アメリカ』もかなり衝撃で、国際政治を学ぶ身としてはヘゲモニー国家アメリカ内部で進行する貧困化の実態を知った時は、ものの見方を一から考え直さなくてはならないと強く思ったのでした。
高校時代にオハイオで過ごした一年間も、フロリダ大学で過ごした一年間もアメリカ内部で深化する二極化に気づくのには全く十分ではなかった。

今著は、ルポの三部作の完結編だそうです。
ただ、個人的にはまだまだ先がありそうです。(それは必ずしも待望したい類の期待ではないのですが)
今回の『(株)〜』で描かれるのはルポⅠ・Ⅱ依頼続くアメリカの内部二極化が更に深化した現在進行形の現状です。

なんだかウィキリークスの内部漏洩文書の核心部を読んでいるかのような心持ちでした。
「自由」を標榜するデモクラシーの泰斗であると思われているアメリカ。
次々と暴かれるアメリカン・デモクラシーの瓦解過程。
諸外国に「民主主義」「強い農業」「財政再建」「人道支援」などを理由に介入、集約させた広い農地で輸出用GM作物の大規模栽培を導入させ、現地の小規模農民を追い出した後は、株式会社アメリカが動かしてゆく。
資本主義、それがグローバリゼーションとの邂逅を通して、国家主権は揺らいでいき、多国籍企業がヘゲモニーを握っていく。もうアメリカという単体の国がヘゲモニーを握っているという認識は成り立たなくなってきている。

市場の原理が入り込むことから死守されなければならないはずの領域も、圧倒的資金力を梃子に多国籍企業が政治を掌握し、次々と自分達の論理に合致する立法を成立させていく。
80年代から加速した規制緩和と民営化、垂直統合、政府・企業間の回転ドア、ALEC、そして市民連合判決といった一連の動きが、アメリカを統治政治から金権政治へと変えていった。寡占化によって巨大化した多国籍企業は、立法府を買い、選挙を買い、マスメディアを買いうことでさらに効率よくその規模を広げていく。
この中でとくに衝撃的かつ、アメリカ政治を多国籍企業が掌握している構造となっているのがALEC(American Legislative Exchange Council)=米国立法交流評議会。
NPOとして登録されているALECの実態はロビイストや政治団体よりも遥かに大きな力を有した団体であるということ。その主要メンバーが上位の多国籍企業の面々である。
そしてALECのモデル法案の強みの一つは、一つの州で立法が成立しなくても放射状に複数の他の州で提出されていくこと。

スティグリッツが『世界の99%を貧困にする経済』で看破していたグローバル資本主義の論理が各国内部の政治も巣食っていく過程が最も先進的に進んでいるのがアメリカである。
アメリカでは、買収行為はより高いレベルで行われる。買収されるのは特定の判事ではなく、法律そのものだ。この買収は、"アメリカ型汚職"と呼ばれるようになった汚職行為の一環として、選挙戦への寄付やロビー活動を通じて行われる。
そういったロビー活動はしたたかにALECなどのいくつかの構造を迂回して、より強固に1%vs99%の布置を形作っていく。 

グローバル規模で資本主義が暴走していく中で、誰に「責任」を帰すこともできない。
一度、この論理が作動して世界を覆っていく中で、国家なき「帝国化」とでもいえる様相が成立していく。
軍産複合体、農業複合体、コングロマリット化は収まらない。
とくに今著でも詳細にわたって、触れられている「強い農業」の錦の御旗の元に進められたアメリカにおける大規模農業が直面している問題群。
たとえば養鶏業者の「デッドトラップ(借金の罠)。
これは一つに収まり切らない数多くの問題が複合的に絡まり合いながら、存立している。
一つにはこれまで述べてきたような巨大多国籍企業が個人経営・家族経営の零細経営を駆逐して、貧困へと追いやっていくシステマティックな構造。これらを固定化していく立法過程では上述のALECなどの団体の助力もある。


もう一つは倫理の問題。ブロイラーなど、とにかく薬を投与し、虐待に近い環境で、鶏をぎゅうぎゅう詰めにし、ただ「より多く」効率的に生産することだけが至上命令になっていく。
原宏之さんの『表象メディア論講義 正義篇』ではこのように説明されています。
人工的に品種改良されたニワトリ。少ない餌で済むのに2ヶ月足らずという驚くべき早さで成長し、出荷される。食べられるために生まれ、食べられるために生きるニワトリ。
いまの鶏の胸の重量は(生後8ヶ月)は、25年前の7倍あるそうです。
どう考えても、自然の摂理に反しているといわざるおえない。
だけどそれを享受しているのは自分をはじめとした先進国民にほかならない。
たとえば、コンビニでホットスナックとして売られているフライドチキン...。

ヌスバウムが『正義のフロンティア: 障碍者・外国人・動物という境界を越えて』などで言及しているような動物保護の観点は、そもそも告発の前段階で阻止される。
コンクリートで頑強に守り固められた外壁が告発を許さない。法律もそれを保護するように次々と立法されていく。

「民主主義」は粉飾のためのラベルに成り下がったのか。
主権は確実に国家から多国籍企業に移りつつあるようにみえる。
先日、ニュースになっていたアップルの租税回避の訴訟
国家では対処できない問題群。

コミュニタリアニズムの瓦解を感じさせた事件としてはサンディ・スプリングスを端緒とする「完全民間経営自治体」の成立。
弱者を斬り捨て、高所得者が自分達だけの空間を形成していく。「公共」の消失。

こういった問題群に国民の目を向けさせ、啓蒙へ導いていく最後の砦であるはずのメディア。そこにも当然、黒い影は浸食してくる。
2010年のカリフォルニア州の第三党から州議会選挙に立候補したジル・スタインの言葉を本から少し引用してみると
「<中略>大統領も同じです。選挙中どんな公約をしようが、スポンサーの意向に沿わなければ、上下両院の承認を得ることもできない。分かりますか?政治家もマスコミも買われてしまった今、アメリカの民主主義は、数年ごとに開催される大規模な政治ショーと化したのです」
ポピュリズムの元凶も政治家単体ではないということ、大きな構造の一パーツに過ぎないということ。 

この本のタイトルよりも遥かに根の深い問題の進行・胎動が鮮やかに描かれています。
日本人というより、先進国すべての国民が知っておくべき事実の数々がリポートされています。
帯には
略奪せよ!TPPは序章だった...
と、あります。 
本書の中で出てくる消費者運動家で元大統領候補の弁護士ラルフ・ネーダーによれば
企業群はあらゆる規制を撤廃し、いよいよ最終段階に向かっている。TPPが頓挫しても、またすぐ別の名前で繰り返し現れるだろう。その本質を知りたければ、過去30年の間にアメリカ国内で企業が政治を後押しして作りあげてきた、この異常なビジネスモデルを見ればいい。
中野剛志など、TPP反対論者の意見もとても分かります。国家の瓦解過程に加担していいのかと。 
ただ堤さんが強調する「コーポラティズム」の実態を包括的に捉え返してみると、単純に反自由主義的な論理だけでは対抗できないような強力な力を内包していると考えざるを得ない。
グローバル化における価格競争を激化させた最大の原因は、政府によって次々と実施された規制緩和政策と、それらを国境を越えて適用させた国際法の数々だ。そして合法的な「株主至上主義」は環境が法制化される背景には、それを望む経済界と金融界が政府と結びつく「コーポラティズム」の存在が見え隠れする。
あとがきには
いま世界で進行してる出来事は、単なる新自由主義や社会主義を越えた、ポスト資本主義の新しい枠組み、「コーポラティズム」(政治と企業の癒着主義)にほかならない。
アメリカという筆頭先進国内部の問題を詳細に明らかにすることで、アメリカのみらなず、いかなる論理が今世界を牽引しているのか、世界を「国家」という枠組みから引き離しているのか、もっと大きなストーリーが見えてくる。
これは日本も例外ではない。
知りたくないことが次々と明らかにされていく。だけどもう「知らぬが仏」では済まされないことがあまりにも多く、そして肥大化した。

明らかにこれは「完結」していていないと思うし、堤さん自身も必ずそう思っていると思う。この岩波新書のルポとしては3部で完結し、これは次なる形の序章であると期待しています。

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