公開からもう5年になるんですね。
言わずと知れた傑作邦画。
日本アカデミー賞最優秀作品賞、アカデミー賞外国語作品賞受賞の今作。
洋題は"Departures"。妙題だと思います。
「おくりびと」=本木雅弘演じる主人公・小林大悟の従事する納棺師な訳ではなくて、ほかにも葬儀屋であったり、火葬場の職員など、人に死に携わる職業が包括的に描かれています。もちろんその中心は「納棺師」という職業なのですが。
「納棺師」という職業にスポットライトが当てられているのはもちろんなんですが、劇中で重要なモチーフになっているのが、「チェロ」と「石文」。
「石文」とは人が言葉をまだ持たなかった太古の時代にコミュニケーション手段に用いられていたもので、地面に落ちている無数の石の中から、丸みやとんがり具合、はたまた重さなどから自分の現在の気持ちに合致したものを選び出し、それを相手に渡す。
受け取った相手は、その形状や重量から送り手の気持ちを忖度するという意志の伝達方法。
傍からみればただの石ころかもしれない。
けど、そこに込められた情念は時間・空間を越えて、消えかけた絆を係留する。(本作では幼子のときに父親と別れた小林大悟にとって「石」が重要な意味を持ちます)
それから、チェロ。
これも劇中で重要なプロットの結節点になっています。
楽団の解散で一度は楽器に見切りをつけたものの、山形に里帰りしてからも、折にふれてチェロを弾き、心の安寧を得るのです。
山形の四季に応じた自然の中で奏でられる幽玄な旋律と、ゆっくり進んでいくプロットが絶妙に絡み合いながら描き出されていく、人間の生。
さりげなく背景に映し出される山形の自然や田舎の風習、方言。
やはり今でも日本のイワユル「伝統文化」の精髄は都心ではなく、田舎に宿っているのだと再認識されました。とくに僕のように東京生まれ東京育ちの人間にとっては。
そして、ここもまた外国で高く評価を受けた所以だと思います。
劇中では、なかなか理解が得られず、穢らわしい職業として描かれる「納棺師」という仕事。
実際、そうなのだと思います。
そういえば、いつだったか両親と話をしていて「最近、霊柩車を見かけない」という話題になりました。
ググってみるとやはり、根本にはそういった原初的な忌避感があるとのこと。(参考)
さきほど、日本の文化の一端が色濃く描かれているからこそ、評価されたのではと描きましたが、もちろんそれは一面的な話で、一番の核心は何と言っても「死」なのではないかと。
納棺の会社で、主人公・小林が社長と秘書とささやかなクリスマス・パーティーを催している際にチェロを演奏します。
そのときに「せっかくの会なので、クリスマスっぽい曲を」とリクエストがあり、それに対して「え、でも宗派とかそういうの大丈夫ですか」と一瞬心配します。
すると社長は「うちはキリスト教、仏教、イスラム教、ぜんぶやるから大丈夫」と答えます。
ようするに、こと「死」となれば、宗教や宗派、文化・伝統を越えて貫く「普遍性」があるわけで、もちろん儀式のしきたりも異なれば、葬り方にも色んな差異があるとは思いますが、基本的には故人と縁のあった親戚や友人が取り囲み、「送る」という形は変わらないのではないかと。
そういう意味で本作を貫く「死」それを取り巻く、人びと、人生の儚さ、美しさが雑色のパレットの如く描かれています。ただし、その下地はまっさらな白であるということです。
【完全主観採点】★★★★★