Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2012年10月27日土曜日

就職、進学、そして生きていく事


このまえ機会があり、ゼミの後輩へのメッセージを書いたのでここにもログとして残しておこうかと思います。体的には就活のアドバイスなのですが、僕はほとんど就活という就活もしていないので、ぼくなりに自由に書いたつもりです。そしてそれがコンプライアンスに関わることもないと思うので。

【Ⅰ.】
僕の場合、就活という就活はほとんどしていないので、僕なりに自由に書かせてもらおうと思います。そしてそれが、将来の考え方や就活それ自体の一助になって、なにか一つでも伝わるものがあればいいなと思って筆を執ります。
そもそも自分の中で「就活をするために生まれてきたわけではない」あくまでそれは数多くある選択肢・オプションの一つでしかなく、人生のルールではないと信じていたのが根底にあります。「周りがそうするから、とりあえず自分も」という同調圧力に自分の意思が簡単に屈して、一度の人生を流されるのもなんだか腑に落ちないという皮肉な反抗心みたいなのがありました。


常識にとらわれるな、そんなもの他人の考えにすぎない。そんな考えに惑わされて、自分自身の心の声を聞き逃してはいけない。(Don’t be trapped by dogma – which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice)」ってジョブズも言ってます

それでも完全に就活していないといえば語弊があります。最初からそういった反抗心だけで就職を選択肢から除外すること以上に視野狭窄なことはないと思ったので、広告代理店でインターンをすることにしました。その流れで同社の選考を受けたり、Googleも受けて最終面接の前まで行ったりもしていました。結局、どちらも結果は駄目でしたが、その理由は明白です。単純に「自分が何をしたいのか」を突き詰めることができていなかったし、そこでなければならない必然性を説明することができなかったからです。それに気付けただけでも、自分にとっては意義深かったです。

その当時、付き合っていた彼女は他のことが目に入らないほど、それに向けて一直線に全力疾走していました。目を輝かせながら、夢を実現した自分の姿を語っていました。僕にはその時、特定の会社やこれしかないと断言できる情熱が欠けていました。


マタイ福音書にこうあるように
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。(Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you)

「初志貫徹」入学当初から考えていた進学をやはり目指そうと改めて決意したのです。

【Ⅱ.】
どれだけの日本の学生が胸を張って大学の四年間で勉学に励み、専門を身につけたと言えるでしょうか。僕は大学二年次にアメリカへ留学しましたが、そこで大いに刺激を受けました。朝から晩まで図書館に缶詰で勉強する友達会社を三つも経営している友達など、いまこの瞬間に全力投球している人々に感銘を受けたのです。


だから大学院に進学し、二年間思いっきり勉強にどっぷり浸かり、それから「本当に自分が何をしたいのか」を見極めても遅くはないと思ったのです。ユダヤの教えにこんなものがあります。「すべて金で買うことができるが、知性だけは買うことができない」自分の奥深くで感じた「もっと学びたい、知りたい」という欲求を死蔵するよりも、リスクを背負ってでもこの気持ちに正直でありたいと思ったのです。今日やるべきことを明日に後回ししたら、明日やるべきことはいつまでたってもできない、だってそうでしょう。

自分の直感にしたがった決断は決して僕を裏切ることはない、そう信じています。アメリカにいた時、友達がこう言っていたのを思い起こします。「拒絶するってことは神様が君を守る時のやり方なんだ。(Rejection is God’s form of protection)」「浪費するだけの人生なんて、一番悲しい自殺みたいなもんさ。(A wasted life is the saddest form of suicide)」大好きな漫画『バガボンド』を何気なく読んでいた時、沢庵というお坊さんが言うセリフが不意に肺腑を衝きました。「そろそろおのれを眺めてみたらどうだ」

【Ⅲ.】
何かに迷った時、先人たちの経験・言葉が助けになることがあります。そこで僕がこれまでに読んだ本の中でとくに感慨深かったもの、ヒントになりそうなものをいくつか。古典が多いのは古典には「古典」になりえる所以があるからです。
  • マルクス『資本論』
  • セネカ『人生の短さについて』
  • デール・カーネギー『道は開ける』『人を動かす』『話し方入門』etc
  • 吉野源三郎『君たちはどう生きるのか』


【Ⅳ.】
就職か進学か。そんなはずありません。多くの選択肢が眼前には広がっています。それを見てみないフリするんじゃなくてあがいてみる。ジョン・キムさんが「他人の道を行けば楽だが従属することになる。自分の道を行けば苦しいが独立することになる」と、そしてエジソンが「もうこれ以上できない。そこでやめるか、[いよいよ、これからだ]と立ち上がるか、このわずかな[一念]の差が、人生のおおきな分かれ目になる」と言っているように、人生はリハーサルではなく本番一発勝負です。20歳そこそこ、すでに(人生80年として)4分の1が過ぎてしまっている。誰かが「どんなにつらいことがあっても80歳になった自分への思い出のプレゼントだと思えば楽しくなる」って言ってたことを僕は時々思い出します。

あ、あとツイッターで超面白くて個人的に速攻ふぁぼったツイートも。

「 人生は神ゲー!セーブできないシビアなシステム、本気で頑張ると倒せる絶妙にバランス調整された敵、全てのキャラが深い人間性と歴史をもって登場、グラフィックが綺麗、BGMが無限、複雑で洗練されたシナリオ、自分を愛してくれるキャラがいる、無料」
就職をするっていうことを僕はけっこう重く捉えています。もちろん転職もあるでしょうが。アルバイトをしていると、よく年配のサラリーマンのお客さんが来店します。「新卒のときは、数年勤めてから起業するつもりだった。すぐにやめてやるつもりだったんだよ。でも気づいたら早いもので、もう定年まであとわずか」この類の話は何度聞いたかわかりません。入社し、数年がすぎると昇進などもあり、部下の面倒や責任を伴っていき、激務に忙殺され当初の志は影を潜めていくのだと想像します。人間は惰性に弱い生き物だから。 




っていうわけで幾つか、まだ就職する前にできることの例をいくつか挙げてみると...

<進学のための奨学金>
その他にも探せば探すだけあります。お金で進学・留学を諦めることは決してないと思います。

<海外で働く>
それ以外にもNGO・NPO、各種インターンで多く機会は開かれていると思います

<その他>
考えれば考えるだけ、やることなんてある気がします。上記は僕目線でざっくばらんに適当に選んだ一例にすぎません。

【Ⅴ.】
はじめからおわりまで、多くの人の言葉を引用というかバラまいてしまいました。人生一度きりで、まだ僕は22歳。知らないことばかり。だから先輩たちの声はいつだって道を示してくれます。「生きるとは、一瞬ごとに、膨大な可能性が死んでいくということだ」と茂木さんか誰かが言ってましたが、それでも僕は孫さんの言葉にも強く惹かれます。


「今日は人生で最も素晴らしい日になる。毎朝その様に願うことが大切だと思う」
みんなが心からやりたいことを見つけ、その夢を実現できることを願っています。頑張ってください!
PS. 辛い時はミスチルの「終わりなき旅」を、就活の答えが知りたくなったら「Any」を聴いてね(算数のドリルの後ろについてる答案みたいに)

と、後輩へ書いたものの、結局自分自身へのメッセージというか、言い聞かせのようになっているように感じます。

あえてリスクを背負って、遠回りしたからには、逆転満塁ホームラン打てるようにがんばります。

【その他、昔書いた就活に関するもの】
すべての就活生のみなさまへ
きゃりーぱみゅぱみゅから見た大学生の就活
17歳のマルクスから、就活生のあなたへ
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よければコチラもどうぞ⇒「インド修業から、東大に受かるまで

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