インテル、HP、ゼネラル・エレクトリックを経て現在はIT業界で経営者およびベンチャーキャピタリストとして活躍しているウィリアム・H・ダビドウさんの『つながりすぎた世界』を読みました。
先月、ジャレド・ダイアモンド『昨日までの世界』をブログで紹介したのですが、綺麗なほどに「昨日までの世界」(伝統的社会)=「つながりすぎた世界」(現代グローバル化社会)というコントラスト構図が浮かび上がってきます。
まずは表紙裏の帯にあった、キーワードを。
結合状態を以下の4つに区別した上で
①過少結合状態
②結合状態
③高度結合状態
④過剰結合状態
現代社会は疑いなく最終段階の「過剰結合状態」にあることに警鐘を鳴らします。
そして、この状態にあっては緊密化した「正のフィードバック」が循環し、手が付けられなくなっていくことを指摘します。
※正のフィードバック:物事には因果性・連鎖性があり、つながりを強化すると自己増殖的に反応が進む。ある程度まではそれが効率を高め、ひいては生産性の改善や透明性の向上につながる。だが物事の連鎖性を強めすぎると、暴発的に連鎖反応が起こり、もはや手が付けられなくなる。(訳者あとがきより)
イエール大の組織理論の大家チャールズ・ペローらにもヒントを求めつつ、歴史を紐解きながら、数多くの結合例を引証し、分析を精緻化していきます。
ペローの主張を一言に集約すると、
非常に複雑で高度に結合したシステムでは、事故が発生するのは不可避である。(Cf. 『Normal Accidents: Living with High Risk Technologies』)
ピッツバーグの製鉄業が辿った脆弱段階、コップ一杯の水が引き起こしたスリーマイル島の原発事故(もちろん東日本大震災を経験した私たちにも多くの示唆があります)、モリスのワーム(この件に関して筆者は「私たちの社会には"内なる幽霊"が存在するのだとみんなが気付かされた瞬間だった」と述べています。Cf. 「インターネット・ワームの原点「Morris Worm」の脅威」- IT pro)
第7〜8章にかけてアイスランドの経済危機にフォーカスし、例証していくのですが、経済危機の最中にアイスランドに1ヶ月滞在していた自分としては、実体感とかなり符号する分析結果でかなり頷けました。
なにより、バーでビールを飲もうとしたら1杯1000円近くしたのを記憶しています。
アイスランドで撮った写真
アイスランドが辿った危機までの経過、端末を分かりやすく簡明に知るためにウォール・ストリート・ジャーナルの「銀行業の『寓話』が終わり、海へと戻っていくアイスランド人」という記事があります。
さらにそこからサブプライムローンを仔細に抉り出していくわけですが、例に漏れず今件も過去に遡及すればミシシッピ計画、チューリップ・バブル、南海泡沫事件など、同質も問題はいつも時代もあり得たわけです。(こういった問題に通底する構造として「カトリーナ効果」を引き合いに出しています。Cf. ブライアン・フェイガン『古代文明と気候大変動』)
サブプライムローンに関してはファニーメイ、フレディマック、AIGなど「大きすぎてつぶせない(too big to fail)」が背景にあったと思われ、これがモラルハザードの温床になっていたのではないかと、というか今でもそれはあります。(日本のJALなども同様かと)
そして経済学者や政治学者たちは人間本性への悲観論を述べ続けてきたのです。
たとえばカントは
人間性という曲がった材木から、真っ直ぐなものがつくられたためしはない。
とまあ、幾つもの例を引き合いにだしながら、警戒の念を強めていくダビドウ氏。
とくに開眼するような類のものではないですが、一応3つの対応策を挙げています。
①正のフィードバックの水準を下げ、それが引き起こす事故を減らし、思考感染を緩和し、予期せぬ結果を全体的に減らす。
②より強固なシステムを設計し、事故を起きにくくする。
③すでに存在する結びつきの強さを自覚し、既存の制度を改革してより効率的かつ適応度の高いものにする。
訳者あとがきでは過剰結合状態にない状態を考察しています。
例えば、日本の鎖国時代、現代でいえば中国のフレキシブルな社会主義体制。
ただし、このグローバル資本主義の網の目に一度でもかかれば、もう逃れられないではないかというのが私見です。
ときたま聞く議論で、宇宙人の強襲で地球滅亡の危機に直面する以外、究極の世界平和(たとえば世界政府の設立)はありえないのではないかという...あながち、間違っていないのかもしれません。
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