Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2012年12月28日金曜日

映画『パーフェクト・ワールド』


友人らと共にクリント・イーストウッド作品を。

基本的に脱獄モノは頭のキレる脱獄犯とセットなのかなと。(てゆうか、そうじゃないと作品として成り立ちにくいですよね)「プリズン・ブレイク」然り。

クリント・イーストウッド作品は淀みなくフラットにストーリーが流れていって、ラストで一気に展開が転回することがパターンなような。「グラン・トリノ」然り。
ユーモアたっぷり、ヒューマン・ドラマ。だいすきです。
この作品では主題ではなかったですが、「ストックホルム・シンドローム」の要素があって、ますます興味が湧いてしまいました。

あとはケビン・コスナーかっこよすぎですね。ひさびさに「ボディガード」みたい。

2012年12月25日火曜日

映画『レ・ミゼラブル』


桜木町のシアターで鑑賞。
上映時間約3時間の長丁場。惹きつけられるミュージカル調の映画だったのですが、あまりに眠くて途中何度か寝落ちしてしまいました。
アン・ハサウェイの鬼気迫る演技。『ブラック・スワン』みたときのナタリー・ポートマンの迫力を思い出しました。
やはり名作というのは音楽が素晴らしい。


布教色の強い映画だと思いました。徹底して。
キャストが素晴らしい。

You Bunch of Nurds


青学出身だったんですね。知らなかった。そしてボーカルのヒト、シリアにいたんですね。



ちょいちょい聴いたりもしているわけですが、現時点ではband apartの方が若干好きです。





2012年12月24日月曜日

読書『ジェノサイド』高野和明著


ながらく積読していた高野和明さんの『ジェノサイド』。
昨晩、なかなか眠りにつけなくて、何の気なしに手にとって、気付いたら朝。
その時点で二部の途中で、翌日にはすべて読み終えてしまいました。
この本はけっこう分厚くて約600ページほどあります。
長編を読む時にはページ数が目減りしていくと、物悲しさを覚えます。(『1Q84』を読んでいたときは、特にそれを覚えました)
ずっとこの物語を漂流していたい、追憶体験をしていたいと。
この目に見えてページが終焉に近づいていくのが感じれるのは、紙の書籍ならではですよね。

緻密に組み立てられたストーリーライン、圧倒的な研究に裏付けされたプロット。
絡み合っていく登場人物たち。
その中心に伏流しているのは「大量虐殺(ジェノサイド)」という核心的テーマ。
物語の途中でこんなセリフがあります。

「すべての生物種の中で、人間だけが同種間のジェノサイドを行う唯一の動物なんだ。それがヒトという生き物の定義だよ。人間性とは、残虐性なのさ。かつて地球上にいた別種の人類、原人やネアンデルタール人も、現世人類によって滅ぼされたと私は見ている」

文系・理系問わず楽しめる作品。
帯の書評には「やや大袈裟ではないか」と辟易していたのですが、まさしくその通りでした。
「この作品に出逢えた以上、今年読む本はもう全部ハズレでもいい」


徹底的に取りこぼしがないように裏付け取材を行なっているのが伝わって来ました。
作品の出版スパンも約1年に一回と早くはありません。
どこかで立花隆さんインスパイヤの影がみえたのですが、案の定でした。
巻末の参考図書のはじめにありました。
(立花さんといえばこの前『宇宙からの帰還』を読んで感銘を受けたばかりでした)

エシュロンはじめ、ほんとうにぼくらの知らない所で、どんどん世界は構築されているのだなーと。たった一度の人生ですべてを把握しようだなんて無知にも程がある。


おそらく『ハッカーと画家』と合わせて読めばより楽しめるんじゃないでしょうか。

続いて高野さんの死刑制度を扱った『13階段』に取り掛かろうと思います。

卒論、韓国語、そして文学


直近数週間の自分の生活を大まかに概観してみる。
基本的に睡眠が6時間以下だと、その日の作業効率がガクンと落ちる体質なので、7~8時間は睡眠を確保するようにはしている。
すると一日の残余時間が16~17時間。これをいかに配分するか。


ざっと大まかに区分するとこうなる。
卒論1、語学2(韓国語)、読書7(小説)
これは実情からいうと、かなりまずい。
かなり改変しないと、かなりまずい。

まず卒論を7~8にしないといけない。(というのもデータが全消失してしまった。バックアップ取っていなかったのが命取りでした)
まあでもここからトップギアをかければ間に合うと思います。
これは「新たなはじまり」と捉えることにします。

それから語学は2でキープ。(頭の動き方を考えると、やはり朝にしばくのが一番ですね、語学は)一日空けるとサビつきがすごいので、継続が一番。

読書、ここのところ小説ばかり読んでいるので。(欲望に任せて)
これも少し手をいれないと、けっして巧いタイムマネジメントとはいえないですね。
専門書も交えつつ、一日におけるポーションを減らしていかないと。
ただSFとか読み始めちゃうと止まらないんですね。(LOSTとかアメリカのドラマみてるときと同じで)

明日はクリスマス。表参道・横浜へ。
そこから年の瀬にかけて怒涛の忘年会ラッシュです。
その中でも打ち立てた生活規則というか、秩序は見失わずに日々を過ごしていきたいですね。

2012年12月22日土曜日

iPhone5買いました


アメリカから帰国してからiPhone4を一年半くらい使ってきたわけですが、粗雑に扱いすぎて、電話もできないときがある、音楽も聴けないときがある、写真は撮れない。
ポケベルも同然と化していたのです。
本体もバッキバキでした。(下の写真参照)特に裏側はひどくて内蔵みえてます。笑




とはいえ、契約は2年なので残りの半年分は来月以後の請求に上乗せされます。

さっそく使ってみて、まずというか、一番感動するのはやっぱりLTEのはやさですよね。

バックアップに関しては「[iPhone5]バックアップ・復元・機種変・データ移行・事前にすること」を参照。
そのほか基本的な設定は「iPhone5を買ったら最初にやる事10個」参照。
男性はコチラ。笑 「男子がiPhoneを買ったら設定し直す項目をまとめてみた

あんまり関係ないですが、おもしろいのでうっくんの新しいビデオも紹介しときます。


2012年12月21日金曜日

「魂」について


死が訪れたあと、情念・思念いや、「魂」はどこへ行ってしまうんだろう。
フィジカルな「体」は埋葬され、やがて土へ還っても、「魂」はどこへ行くんだろう。

韓国語の音感に触れる目的で再び「私の頭の中の消しゴム」を観返していたんですが(三回目)、今回ぼくの琴線に触れたのは「魂」という言葉。

「記憶が消えても、魂は消えないから」とチョルスが言っていました。
それが異様にthe HIATUSの"Souls"の歌詞とリンクしていて。
サビでこうゆう歌詞があります。

いつだってきみが過去を振り返り、思い出を感じる時

それはきみの中で膨らんで、ぼくを飲み込んでいく

ぼくらのに突きつける過去を振り返り、昔を感じようとするたびに

それはきみの中で膨らんで、ぼくを飲み込んでいく

きみのをぼくに連れてくるように


Doesn't Mean Anything / Alicia Keys <和訳>


疑いもなくお金持ちになることを夢見ていたあの頃
わたしが夢見るその場所に、あなたがいなかったなら
だって終わってしまったから
そんなのフェアじゃないじゃない
ダーリン
路上に住む貧しい人になったって構わない
食べる物さえなくたって
泣くくらいなら誰も要らない
だって終わってしまったから
あなたがさよならを告げたとき

一度にすべてを手にしたの
でも
そんなもの意味のないこと
今ではあなたはいないから
今から考えればすべてを手にしていたように思う
でもそんなもの意味のないこと
あなたが行ってしまったから

今では違う角度からわたしが見えるの
驚くことなんてないわ
わたしが一人でいることであなたは気づくかしら
終わってしまったの
愛に詰まったすべては正しい
そこに入れば良かった、良かった、良かったのに

一度にすべてを手にしたの
でも
そんなもの意味のないこと
今ではあなたはいないから
今から考えればすべてを手にしていたように思う
でもそんなもの意味のないこと
あなたが行ってしまったから

分かってる、わたしがあなたを突き放したこと
愛を取り戻すにはどうしたらいいのかな
モノなんていらない
意味なんてないから
わたしが欲しいのはあなた
一度にすべてを手にしたの
でも
そんなもの意味のないこと
今ではあなたはいないから
今から考えればすべてを手にしていたように思う
でもそんなもの意味のないこと
あなたが行ってしまったから

一度にすべてを手にしたの
でも
そんなもの意味のないこと
今ではあなたはいないから
今から考えればすべてを手にしていたように思う
でもそんなもの意味のないこと
あなたが行ってしまったから
元詩

Shadow of the Day / Linkin Park <和訳>


窓を施錠する
ブラインドを閉めて背を向ける
ときに解決策は入り組んでいて
ときに「さようなら」だけが唯一の途なんだ

太陽はきみのために沈みゆくだろう
太陽はきみのために沈む
一日の影が
世界を灰色に包み込んでいく

ピンクのカードと花で覆われた窓
友は君に残ることを懇願する
ときにはじまりはそう単純じゃない
ときに「さようなら」だけが唯一の途なんだ

太陽はきみのために沈みゆくだろう
太陽はきみのために沈む
一日の影が
世界を灰色に包み込んでいく

一日の影が
世界を灰色に包み込んでいく
そして太陽はきみのために沈みゆくだろう

一日の影が
世界を灰色に包み込んでいく
そして太陽はきみのために沈みゆくだろう
元詩

2012年12月20日木曜日

韓国語を勉強してみようと思います


重い腰を上げて、本格的に韓国語に着手しようと思います。
今年からやろうと思ってて、結局、年の瀬までやらず終いになってしまいました。

これまでスペイン語、中国語それぞれ二年間やってきました。
少なくとも、その間で言語を実用的に身に付けることがどれほど難しいか、どれほど時間を要するものか身を持って体験してきたつもりです。

それでいて尚、今回また挑戦しようと思うのです。

上記の言語と韓国語は違った言語体系を持っています。
だから、これまでの学習体験がまったく役立たずかといえば、そうじゃないと思います。
たとえば言語学習に取り組む姿勢(モチベーション)、体系的かつ効率的に学習していくメソドロジーのようなものには一定の普遍性があるのではないでしょうか。

とくに取っ掛かりから独習となると、こりゃもう大変です。
すぐにひいひい音を上げてしまうんじゃないと懸念もありますが、一度決意したからにはある程度の具体的な目標を持って取り組むつもりです。

とりあえず、一ヶ月後にまた韓国語学習の進捗状況について振り返りのログを書こうと思っているので、その時に良い報告ができればと思っています。

では。

It's been high time for me to get down to self-teaching Korean from scratch.

2012年12月18日火曜日

Ghost in the Rain / the HIATUS <和訳>


基本計画に沿って
バリケードへ向かっていく
多様性や懐疑が脳をかすめる
それを弓に塗りたくる
そして弦に耳を澄ませる
終焉の囁きが
ダイアローグに滑り込む

ぼくは雨の中の亡霊
きみはぼくがそこにいることに気付かない
雨の中の亡霊
同じ年月
そのままでいて
やがて世界が君を見つけるから

ダイアグラムの中
一貫性がある
絶望にあるスペクトルが
ぼくを迷わせる
だからこのままでいたい
独立性は残るから
欺瞞が露わにされたとき
犠牲にされ続けてきたものを目撃する

多様性や懐疑がかすめる
脳をよぎる
ぼくは雨の中の亡霊
きみはぼくが立ちすくむのに気付かない
ぼくは雨の中の亡霊
きみはぼくが立ちすくんでいるのに気付かない
雨の中の亡霊
同じ年月
そのまま進むんだ
元詩

2012年12月17日月曜日

ブログを書き続ける3つの意味



ぼくはこれまで多くの日記、ログ、回想記を書き続けてきました。
手書きの日記からmixiの日記、そしてブログ。アメリカに留学している間に書いたブログ「Pieces of my thoughts」そして現在の「言葉を手にしていく感覚」(最初は「国際政治と広告」というタイトルでした)
プラットフォームは変わっても、自分自身と対峙すること、自分の中にあることを文字に書き起こすことを続けてきました。
自分の中にあることしか文字にはなりません。それに関してだけは背伸びすることはできない。
自分が今までに読んだ本、目にした文章、心を貫いた言葉、自分の中で生成された言葉の宇宙空間は自分しかのぞき見ることが許されない言論世界。存在証明のために。



①アウトプット/ 吐き出すこと

徹底的に自分自身と対峙する。自分の奥底へとダイブして潜り込んでいく。そしてシャベルでそれを掘り起こしていく。時に深呼吸しながら。
自分の「再発見」。際限のないインプットを吐き出すための集積場、でもそれは単なるゴミ置き場じゃない。

基本的にウェブ上は壁のないカオティックな空間で、不特定多数の人々の目に触れることになります。その点に関しては以前、「オープンとクローズドの緩衝点」で書きました。
集合知がひとりでに結合する。まるでアメーバの如くゴソゴソと肥大化していく。
知らない人が知らないことをそっと僕に知らせて、名前も告げずに去っていく。

言葉を手にしていく感覚」「言葉を交わすことについてぼくらは言葉を食べて生きている」で書いたことは基本的に食べ物や水と同じように「言葉」は僕たち人間にとってなくてはならないものだということです。
それは人と人を媒介するコミュニケーションツールであり、人を一喜一憂させるトーイでもある。生活を回す車輪でもある。

読書、音楽、映画、円心を貫くのはいつだってコトバ。
それを飲み込み退蔵させるのではなく、積極的に吐き出していく、自分の中の工場で加工してリクリエイトして送り出していく。それがいつ、どうやって、スパークするかは誰にも分からない。

<メソドロジー> ブログを書く時に意識しているのは、スピード。
基本的に下書きに書き貯めることは、ほとんどしないで、だいたい10分以下で一気呵成で書いています。
とはいえ、書くにしてはあまりに内容が乏しいときはアイディアだけポンと置いておいたり、ざーっとラフドラフトだけ書いておいて寝かせることもあります。
アイディアが創発するのは、だいたいバイトしてるときだったり、ぼーっとしてるときだったりするので、オフラインでメモパッドとしてClearというアプリを使っています。(Evernoteでもいいのですが、コネクションに少々時間かかったりもするので)



②ログ/ 決して忘れないように

外部脳として、決して忘れないように。
書くという事自体が、記憶に焼き付ける作業そのもの。
後に振り返った時に、自分の筆力の未熟さを懐かしんだり、単純に書き貯めた情報に立ち返ったり、クラウドには無尽蔵の容量があるから。

SNSに関していうと以前まではMomentというアプリまで使っていました。
それでTwitter、Facebook各種ソーシャルメディアの情報を一元的に管理していたわけですが、それも今では完全に放置しています。
忘れていくということはある意味必要なことであって、「忘れられたもの」はある意味で「忘れてもいいこと」だというわけで。
だからこそ、ブログはまあそれなりに実りのある内容にしたいと思っているわけで。
そーいえばTwitterがいままでのツイートアーカイブを取得可能にするとのアナウンスが先日ありましたね。

そーいえばMemolaneという面白いサービスがあって、アトランダムに過去の自分のソーシャルメディアで起きた出来事を通知してくれるんですね。
「あー、こんなことあったな」「もうこんなに時間経ったのか」ということが毎朝送られてきてて、刮目するわけです。


③アフィリエイト/ ちいさな慈善事業

ぼくはだいたい内容に関連付けてアフィリエイトを細々と貼っています。
売上は雀の涙程度なわけですが。それでもゼロではないです。
けっきょくウェブ上の情報もロングテールの側面があって、とりあえず放り投げておくとだれかしらが拾い上げる。
たとえば書評も新譜紹介も和訳もだいたいそれを意図してたり。

とまあ、なんだかうだうだ書き連ねてみたものの、けっきょく自分のためでしかないんですね。
そもそもぼくのdigり習性に起因してて、ある程度まとまった情報を吐き出さないと消化不良を起こしてしまうと思うんです。
アウトプットが視座にないインプットに意味はないと思うわけです。

ただただコンテンツを消費するのは不健康だと思うんです。
人間は食べて、排泄しますよね。
だったら情報だってそのサイクル(循環)に乗せるべきだと思うんです。
受容したものを吐き出していく、じゃないと消化不良だと思うんです。
そうしたら自分を起点にまた新たな循環が始まるといったことだってある。
こんな素敵なことってだれもが発信者になれる今だからこそだとも思うわけで。



【参考】
心機一転。学生がブログを始めるべき7つの理由
・人気ブログをゼロから短期間で作るための10の手順
・「ブログを成功させるための12のチェックリスト」
ブログを続けるコツは心・書・友の3つではないかと思う
これからブログを頑張ろうと思う人へ。まずは三ヶ月毎日書く。話はそれからだ。

ロンハー・マジックメールとストックホルム症候群


わりかし作業の合間に、リラックスがてらガキ使、ロンハー、ゴッドタンなどバラエティみます。
で、さっきまでロンハー・ネットムービーマジックメールみてたんですが、これがまあおもしろい。
やっぱり地上波だとかなり放送用語はじめ規制がすごいようで、ネットのほうが自由奔放に制作できると。

んで、ふと思ったんですが、マジックメールの仕掛け人の女の方々(パンサーの場合の杉原杏璃)は相手をワンチャン好きになっちゃわないのかなということ。
90%そーゆーことにはならないんでしょうが、10%でそーゆーことになってもおかしくないんじゃないかと。
ストックホルム症候群のように。

<ストックホルム・シンドロームとは>
犯人と人質が閉鎖空間で長時間非日常的体験を共有したことにより高いレベルで共感し、犯人達の心情や事件を起こさざるを得ない理由を聞くとそれに同情したりして、人質が犯人に信頼や愛情を感じるようになる。また「警察が突入すれば人質は全員殺害する」となれば、人質は警察が突入すると身の危険が生じるので突入を望まない。ゆえに人質を保護する側にある警察を敵視する心理に陥る。このような恐怖で支配された状況においては、犯人に対して反抗や嫌悪で対応するより、協力・信頼・好意で対応するほうが生存確率が高くなるため起こる心理的反応が原因と説明される。(Wikiより)

ドッキリといえば、コレも外せません。


パンサー尾形に仕掛けていた杉原杏璃さん、ググってみると黒歴史もボロボロ出てきて、ちょっと哀しくなったりも。

ハロー、グッバイ、サンキュー


あまりに突発的に、気付いたら「ワンダーフォーゲル」を鼻歌でうたっていて、なつかしくなってiTunesで「ベスト オブ くるり」DLしてしまいました。

2012 Nov~Dec 10 Tune List


11月〜12月にかけてよく聴いた曲を。
なるべくPVをのせますが、ない場合はライブ動画などで。

1. Chaotic Imagination / Nothing's Carved in Stone

2. Use Somebody / Kings of Leon


3. STRONG / MIYAVI vs KREVA


4. The What / Notorious B.I.G feat. Method Man


5. Second Chance / Tristan Prettyman


6. カゲロウ / ONE OK ROCK


7. Sliding Door / ELLEGARDEN


8. 素晴らしい世界 / eastern youth


9. DREAMER / BENNIE BECCA


10. Cut the World / Anthony and the Johnsons

Notes'n'Words / ONE OK ROCK <和訳>


だれも見てないかのように踊りたい
それしか知らないかのように愛したい
心の底から笑いたい
きみのためのノートや言葉をすべて歌いたい

足りるかな?

これしか知らないんだってきみに伝えたい
そしていつの日かきみが言葉を受け取って
ぼくが見るものをきみも見ることができたらって願ってる

きみの愛を歌ったもう一つの曲
だって間違いばかりのぼくをきみは好きでいてくれるから
この景色をきみも見ることができたら
だってきみを取り囲むものは少しだけきみの愛には眩しすぎるから

夜通しきみと踊っていたい
きみが教えてくれたから、愛したい
笑ってきみの涙を吹き飛ばしたい
いくつものノートや言葉はきみだけのものだから歌いたいんだ

足りるかな?

これしか知らないんだと伝えたい
そしていつの日かきみが言葉を受け取り
ぼくと同じ景色をみていると呟いてほしい

きみの愛を歌った新しい曲
間違いだらけのぼくを好きでいてくれるから
この景色をきみにもみせてあげたい
だってきみを取り囲むものは少しだけきみの愛には眩しすぎるから

きみが与えてくれたこの愛を考えない日はない
きみにも同じ景色をみせてあげたい
だってきみを取り囲むものは少しだけきみの愛には眩しすぎるから
きみの愛で人生は素晴らしいものになるんだ
元詩

Narcolepsy / Third Eye Blind <和訳>


受験期、暗いトンネルのなかにいたとき、独り部屋のなか膝を抱えながら、ひたすら聴き狂っていた曲。だいすきな歌。

列車のなか、操縦席にはだれもいない
あたまの中には悪魔がいて、
ぼくを蝕んでいく
安らぎのための最後のチャンスは容易く手をすり抜ける
きみはぼくを寝かしつけるけど、ぼくが解放されることなんてない
言うよ、ずっと起きているって
底を泳ぐって
起きているよって
でも感じるんだ、ナルコレプシー*が滑り落ちてくるのを
新たな悪夢のなかへ誘われていく
ほらまた頭のなかの悪魔がはじめるよ
昨日をヘマの輪をぐるぐるに巻きつける
限界を超えるまで息を殺すんだ
目を閉じて、起きている自分を夢見る
起きていようともがく
起きていようともがく
起きていようともがく
でも感じるんだ、ナルコレプシーが滑り落ちてくるのを
悪夢のなかへ吸い込まれていく
いっきにロシア作家の作品集を読み通す
自分の心のうち以外をすべて書き殴る
ぼくが一番怖いのはいらいらするあの響きで
もう戻れないって気付いてる
手には酒に代わるものを
人でごった返した部屋ではそこら中で乾杯してる
ビールをおごるよ、飲み明かそう
だってそうしないと眠りに落ちていきそうだから
どうして孤独で溺れていくの
どうして孤独で溺れていくの
どうして孤独で溺れていくの
どうして孤独で溺れていくの
またナルコレプシーが滑り落ちてくる、吸い込まれていく
新たなる悪夢のなかへ
起きていて、起きていて、起きていて
そしてナルコレプシーを感じる
元詩

*ナルコレプシーとは発生性睡眠のこと

Santa Claus Won't Make Me Happy

2012年12月16日日曜日

2012朝日杯FS:ロゴタイプですか


いやはや、ロゴタイプですか。
やっぱりデムーロは抑えが正解です。


って感じで、コディーノ・ラブリーデイ→ロゴタイプ、ゴットフリートで買ってたので、あからさまな取りこぼし。

まあちょっとさすがに、ロゴタイプが勝ち切るとは。

読書『「松本」の「遺書」』松本人志著


今更ながらまっちゃんの『松本』と『遺書』を。
この文庫はオススメですよ。二冊一気読みできるので。
まっちゃんからどれだけの影響を受けてるか計り知れないですね。
中学生の頃から今に至るまで、ずーっとガキ使はみてるし、今も(ほぼ毎日)ユーチューブでガキ使関連の動画みてますしね。

この本で語られていることは、今となってはどれも有名な語りぐさばかり。(たぶん連載当時は、そのひとつひとつがセンセーショナルだったのでしょうが)
10年前以上の本を読むとどうしてもフレッシュさが欠落してしまいます。(とくにエッセイは)
それでもこうして時間の地平の向こう側から過去をみることでしか見えてこない部分もたしかにあるわけで。




おもしろいやつの三大条件「ネクラ・貧乏・女好き」

芸人はサラリーマンではない。一人ひとりが社長なのだ。

ナンパな奴は硬派にもなれるが、硬派はナンパにはなれない。



「笑いに魂を売った男 松本人志」カッコイイなあ。
やっぱり「どこまで行けるかは、どこまで犠牲にできるか」にかかっていると思うんですよね。
この本ももちろん面白いんですが、島田紳助・松本人志共著の『哲学』も面白い。(読んだの高校1年生くらいだった気がしますが)

Silent Anger / MIYAVI vs TAKESHI HOSOMI <和訳>


太陽が俺にまた降り注ぐ
影の中の冷たさ
失っていく
今日も立ち呆ける
一直線の日

目の奥に降り注ぐ太陽
残存する
ナイフを落とせ
世界を取り巻くヴォイス
ロックし続けるんだ

歩き去るには遠くへ来すぎた
日々はどうしたって移ろう
遠くへ来すぎた
どうにかやってるよ
もっと良い日にするんだ

ホットタブ
眼球
コンパス
蛇穴
冷たい砂
古いマツ
アシッド
モンスター
ホットタブ
眼球
コンパス
蛇穴
冷たい砂
古いマツ
アシッド
人類

歩き去るには遠くへ来すぎた
日々はどうしたって移ろう
遠くへ来すぎた
どうにかやってるよ
もっと良い日にするんだ
歩き去るには遠くへ来すぎた
日々はどうしたって移ろう
遠くへ来すぎた
どうにかやってるよ
もっと良い日にするんだ
元詩

最近のフェイバリット・アルバム


最近のお気に入りのアルバムをあえて一枚あげるならMIYAVIの'SAMURAI SESSIONS, Vol. 1'ですね。もう圧倒的にかっこ良すぎる。
それに細美さんやKREVAといった、ぼくの大好きなアーティストとの競演。
たまらん。


才能の精髄のバトル。形容しがたいグルーヴ。

2012年12月15日土曜日

読書『切りとれ、あの祈る手を〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』佐々木中著


山本先生に薦められた、新進気鋭の思想家・佐々木中さんの本を。
先生が言っていたように、情報の受け取り方、読書への姿勢に関する知見(フロンティア)が拓けたような、開眼するような「本と革命」をめぐる歴史物語に息を呑みました。

いくつか心を突いたコトバを。

(ルターにとって読書とは...)
「祈りであり、瞑想であり、そして試練である」
革命と本の関係性について
革命は暴力に還元されるものではありません。暴力が先行するのではない。まず根拠を明示したテクストが先行する。テクストの書き換えが先行するのです。 
革命は文学からしか起こらないし、文学を失った瞬間革命は死ぬ。 
ニーチェの「未来の文献学」に関する記述も興味深かった。

いつかこの世界に変革をもたらす人間がやって来るだろう。その人間にも迷いの夜があろう。その一夜の、その一冊の、その一行の微かな助けによって、変革が可能になるかもしれない。ならば、われわれがやっていることは無意味ではないのかもしれないのだ。絶対に無意味ではない。その極小の、しかしゼロには絶対にならない可能性に賭け続けること。それがわれわれ文献学者の誇りであり、戦いであると。

RADWIMPSの「バグッバイ」という歌の歌詞にこうあります
僕のいた朝と、僕のいない朝はどっか違っててほしい。少しだけでもいいから。 
僕が生まれてくる前と、僕が消えたあととなんか違っててほしい。世界は違っててほしい。 
きっと、人がすることはどこまでいっても「古いネジの回転にすぎない」と言ったベケットも「人類は滅亡する。だが人類は滅亡しない」と言うブランショも同じことをいっている。
世界の絶対的な連続性のことをいっている。

その那由多のなかで、ぼくのようなひとりの人間は粒のような塵のような刹那にすぎないとしても、ニーチェが託した「未来の文献学」やヴァルター・ベンヤミンの「夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは、橋でも翼でもなくて友の足音だ」という言葉を思い起こすなら。